Jan.28 Chicago

知覚のドア:シカゴ、ダブル・ドア。ヒーラーズのシカゴでのショウは、ジョニーにとって重要だった。このショウはX.R.Tによって録画され、更にスミス時代ずっと照明を担当し、プリテンダーズやザ・ザでも一緒に仕事をしていたジョン・フェザーストーンがまたヒーラーズで戻ってきてくれたのだ。

幾人かのお客さんは何か叫んだとしても、それは特にバンドを困らせるような事ではなかった。”たまに非現実的なものもあるね”とジョニー。”いいんだけど、ある街ではやけにエレクトロニックの曲を叫んでいたな・・・”。このショウは二ヶ月以内にもX.R.Tで放送されるだろう。照明は勿論、最高だった。ファンタスティック!

Feb.1 San Francisco POPSCENE

ジョニー:サンフランシスコには初期ヒーラーズでも来た事があるよ。ポップシーンというクラブが7周年目を迎えた時、サインしたり数曲演奏したんだ。”Last Ride”の音が良くってねえ。サインを求めに来た人々はまたいい人たちでね。僕も楽しんだよ。全員と話すのは大変じゃない?って訊ねられたし、実際何百人とハグしたけど、全然ハードなんかじゃなかったよ。

親愛なるサンフランシスコ、ビンボ:
ビンボはボールルームというより、アイリッシュ風にダンスホールと呼ぶべきだ。アロンザは巨大なオメバ・レコードショップに行き、膨大な数のCDをゲットしたにも関わらず手ぶらだった。ジョニーは自身の伝統的な巡礼に従い、ビートニクの原点であり、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグなどアメリカン・レジェンドの行きつけの場所でもあったシティ・ライツ・ブックストアに寄った。彼はレニー・ブルースの”How To Talk Dirty And Influence People”と、バロウズの本を購入。

ショウは皆、楽しんだようだった。バンドはショウの後、まっすぐサンフランシスコからLAに向かった。リムジン内ではハンク・ウィリアムズ風に寝そべったりした。6時間も経った所で運転手に”ここから85キロ走行のイギリス風で宜しく”と云った。運転手は了解し、バンドは夜明けのLAまでしばしのお休み。

Feb.4 TV Eye, Sign Out.

ザ・キルボーンショウは西海岸だからなのか、レターマンショウよりもリラックスしていた。クルーは11時にスタジオ到着、バンドは1時到着。彼らはいまだに何を演奏するのか決めかねており、TVスタッフは気を揉んだ。”セットに入れば解るって”。ジョニーは云い、12弦のリッケンバッカーを取った。ジェイムズは”Down On The Corner”じゃないかな。きっとそうだ。”と予想した。”ギターは嘘をつかないからねー”とジョニーは答えた。収録後に行われたバージン・レコードのサイン会では、再三これまでも述べているがまた素晴らしいファンが来場、そしてこのままトルバドールのショウに来てくれるのだ。中でも二人のお客さんははるばるブラジルから観に来ており、ジョニーは贈り物とハグを貰った。”L.O.L.A”・・・

>>Feb.5