プロフェッサー・ジョニー・マー講義記述 (於・ソルフォード大学 2008年11月4日)

原文:オフィシャルページ 訳:MAKIO

第一回

まず誓って云うけど、これは皮肉じゃないよ。僕はミュージック・ビジネスなんて糞くらえと思ってるわけじゃない。僕は、なんと光栄な事だと思うが20年にも渡ってミュージシャンとして働いているし、願わくはもう少しはミュージシャンで居られたらなあ、と思っている。ブリティッシュ・カルチャーの一端を担っているって事が本当にハッピーなんだ。

だけど、イギリスの音楽産業はその歴史に於いてなにひとつ新しいものを創ってこなかった。なにもだ。素晴らしいものの数々は、革新者たちの導きによって創られたレコードやイベントであって・・・それでもイギリスやアメリカのミュージック・ビジネス内部からはなにも創造されていない。価値あるもの、それは常に外から生まれる。現実世界からはみだした連中が創造するのさ。そういった、世の中から不必要とされ、除外され、不満と才能とビジョンを持てあました連中は、やがて自分自身の箱船を築くんだ。ミュージック・ビジネスとはつかず離れずしながら、そのうち独自の調査による発展を遂げ、彼らのマーケットを構築するに至った。小さなクラブで少数のお客さんの前で演奏し、他のバンドの前座に立ち、国の端から端まで小さなバンで廻り・・・ホームメイドなスタジオで、マイスペースで、フェイスブックで、だけどX Factorなんかではやらないんだ。

彼らは常に外からやってくる。エレクトリック・ギターの革新者であるレスポールはまず変人と見なされ全く受け入れられなかったし、ビートルズは最もいい例さ。この4ピースのギターバンドはデッカによって門前払い。誰かがボブ・マーリーやセックス・ピストルズやカート・コバーン、ジェイ・Zを創ったわけじゃないんだ。彼らの発明者は彼ら自身であり、またその全ては不必要とされてきた。彼らは異端で、且つ、その存在はなくてはならないものなんだ。

僕の最初の異端との遭遇はバズコックスのレコード”スパイラル・スクラッチ”だ。これはもう本当のはみだし芸術さ。僕は13か14歳頃だったかな、もうマジで腰がぬけそうなほどたまげたんだよ。30年以上経った今でもこれを超える阿呆なものはないね。観てご覧、ピカデリー・ガーデンを背景に、ポラロイドで撮られたこの、寒々しい、痩せこけて哀れなマンチェスター出身の4人組を!当時のロックスターやミュージシャンは神の如く振る舞っていたし、みんなお行儀が良かったんだ。それなのに、そのレコードたるや・・・バラバラで、リアルで、簡素で、直接的だった。まさに異端の何たるか、だったのさ。で、その最初の異端レコードの異端プロダクションを施したのがマンチェスターのもうひとりの異端であるマーティン・ハネットというわけだ。

思えばマンチェスターパンクは僕が関わった最初の異端だった。今僕らの常識となっているパンクロッカーのイメージって、モヒカンでボンデージパンツに安全ピン、というかなり漫画チックで茶目な感じだけど、それはもっと後のことで、僕が目にしていたのはスーパーヒップなマンチェスター・ラッズだった。そりゃあもうとんがってて、音楽週刊誌でさえ中流階級の自惚れとして読まなかったんだ。彼らは労働者階級で、とんがった工作員って所だった。レコード同様に彼らは素早くてシンプル。一年後に来たモヒカン連中にも安全ピンも眼中無し。

彼らはストリート出身で、常に外に居た。毎週土曜日、マーケット・ストリートのバージン・レコードの外に必ず居たんだ。中に入りたいようには見えなかったよ。次に彼らを観たのは僕がスローター&ザ・ドッグズを観ようと訪れたワイゼンショウ・フォーラムだったけど、またしても彼らは表に居たんだ。お次はTレックスのショウの時。僕は子供過ぎて中に入れて貰えず、外でうろついてる時だった。当然中に入りたくてたまらなかったから、彼らの仲間の振りをする事でチケット無しでもうまいことやる事が出来たのさ。彼らは僕より少々年上だったけど、何故かずっと、ずっとそこに居るような気がしたね。  続く

第一回終わりです。ちょっと注釈を付けると、Xファクターというのはオーストラリアのアメリカン・アイドルみたいな番組のようです。演者の作品発表の場も多様化しているなあ、とつくづく思いますね(フェイスブックなんてまるきり知らん)。”アウトサイダー”というのは、本当に色々な意味がありますけど、私は異端と訳させていただきました。ご覧のページにて、第二回をお楽しみに。(Nov.24/2008)

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