ROCKIN'ON 1990/MAY.

(インタヴューアー:増井修)

マインド・ボム宣伝コピー  カバーはこちらをご覧下さい。

ザ・スミスが解散した時にあなたは「バンドというものは強迫観念に取り憑かれないとやっていられるものではない」という名言を残していましたが、やはり、今のザ・ザにもザ・スミス以降こなしてきたセッション活動にはなかった、強迫観念を感じているわけですか。

JM:そう、だから今もこうやってツアーをしているんだよ。でも、ザ・スミスが解散してからしばらくは僕もその強迫観念ってやつに幻滅してしまって、興味も失せてしまったんだ。あの時の幻滅も今から考えるといささか子供っぽいものだったと思うけど、要するに僕はバンドっていう形態に非常にこだわっていたんだよね。僕は昔からバンドに対して、それがどんなに下手糞なバンドであろうと、いつも真剣に考えてきたんだ。やっぱり、そこでどういう音楽をやるかってことについてはかなりシリアスに考え込んじゃうタイプなんだね。というのも、僕の人生から音楽を取り上げてしまったら、あとは何も残らなくなっちゃうくらい入れ込んでるものだからさ。で、ザ・スミスでは初めて全てがうまく行って、しかも成功までしただけに、あのバンドが終わってしまった時には、正直行ってもうその強迫観念を引き受けるのが辛くなってしまってね。とてもじゃないけど、もう二度とやれないと思ったし、ああいう緊張した状況にもついていけないと思ってね・・・・・。バンドをやるからには、僕は仲間と固い絆を作り上げてやっていきたいからね。ちょっとそういう点では、真面目すぎるところが、僕にはあるんだよね。それで、これからしばらくはセッションだって決めたんだ。決めたんだけど、マットにいざ会って長い話し合いをしてみたら、それでもう、その先どうなるのかが僕には明らかになったんだ。いい予感もしたしね。それでその後マットと数曲数曲、録音をやってみたら、また段々とはまっていく自分を感じたんだ。でもね、とっかかりが見え始めてたからしょうがなかったんだ。それに、凄くいい感じだったのも確かだったんだ。また、僕も僕なりに年を取ったわけで、スミスの頃よりかは遥かに上手に対応出来たし。そりゃあ、今もかなりシリアスに真剣に音楽と取り組んでいる事には変わりないけど、昔のようにやり過ぎにならないようには気をつけているんだ。あんながんじがらめになる程まではね。だから、結論としては、そう、結局、今の僕も強迫観念に取り憑かれてはいるんだ。実際、”性懲りも無くよくやるよ”って自分で思う時もあるけどさ、でもね、僕にもまだそういうチャンスがある内にそういう自分の場所を見つけられたのはとても幸運な事だと思うんだよね。だからね、ザ・ザは今の僕にとっては凄くやりやすいバンドなんだ。

スミスの頃と今とを比べると、その対応の仕方は具体的に言って、どう違っているんでしょうか。

JM:とにかく今は本当にやりたいと思うからこそやっているってことなんだ。でも、それ以前は自分からやろうとしなくても何とかこなせていける立場にいたんだよね。ザ・スミスが終わりそうな頃などは、セッション・プレイヤーとしてやり過ごすか、それとも何にもやらなくたってごまかせた所があったんだ。結局、そういう事に嫌気がさして僕もグループを去ることにしたんだけど、でもそうする為に今度は惨めなシナリオも受け入れなければならなくなってさ。それは例えば、マンチェスターに帰ってもお金も無く、木の下でその日暮らしをして無名時代の生活にまた戻るというようなものだったんだけど、でも、それでも僕の目には凄く魅力的に映ったものだったよ。少なくともスミスにいるよりはいいはずだと思ってね、本当にそうしちゃったんだね。で、それからはセッションを幾つかやりながら一年くらい過ごしたわけだけど、やっぱり本当に自分が望むような立場が保証されない限りグループは組みたくなかった。ザ・スミスの終りの頃は、それこそ僕は自分の立場に辟易していたからね。なんだか、日増しに閉所恐怖症が募っていく感じで。だから、当時と今の違いと言ったら、それは僕が何をやりたいのか僕自身でも良く解ってるってことなんだ。それと、今の環境が非常に快適だっていうのも全然、違う。皆の気持ちがよく分かるし、また付き合いもうまく行ってるし。とにかく、やってるだけで、全然楽しいんだからさ。それだけでもかなり違うと僕は思うよ。

もう一回やってみようという心境の変化は、はっきりとした形で訪れたんですか。

JM:うん、確かにはっきりとした瞬間があったよ。マットと休暇でニューヨークに行った時のことだったんだ。何曲か作品を録音してみた後の事でね、ツアーの相談なんかをしたときの事なんだけど。ホテルのバーに座って、色んな話をしていたんだよね。最初は別に音楽の話でもなかったんだ。人生の目標をどう考えてるかとか、そういう類の話だったんだけど、ふとマットといると自分はすごく気分が高揚するんだなって気が付いてね。その時、もうやるしかないっていう気持ちになったんだ。この感触は本物だし、きっとうまくいくって確信したんだよ。というのは、マットとは実は既に82年に出会ってたんだけど、その時は何にも起こらなかったものの、その時から何か特別なものは僕も感じていたわけだし。精神的な繋がりとでも言えばいいのかな。だから、その後も何度か顔は合わせるようにしていたんだ。ギグとかでさ。とにかく、そうやって気楽にマットと話した後で、”もうちょっとこの面子で一緒にやってツアーもやってみようよ。バンドにもしてみようぜ”って事になったんだ。ああ、またあの強迫観念かあと僕はその時思ったりもしたけど、でも結局はその強迫観念がなかったらやる気にもならなかったはずだよね。

じゃあ、今の意識としてはザ・ザのパーマネントメンバーとしてずーーっとやって行こうと思っているわけですね。

JM:うん。とにかく、これを成功させる為には各メンバーが、このバンドの事を長期的でシリアスな展望から捕らえる必要があると思うんだよね。で、幸いな事に、マットはそういう活動に必要な暖かい環境を作って僕たちを迎え入れてくれたんだ。また、この数ヶ月、実際にやってみて特に気が付いたのは、つまり、これはマットの持論でもあるんだけれども、このグループでは自分の仕事のやり方の自由が保証されていて妥協を強要されないということなんだ。それがこのバンドの大きな魅力のひとつなんだよ。僕がこれまで関わってきた数多くのバンドとはそこが違うんだ。やっぱり皆が皆、やりやすくないと駄目なんだよね。自分の役割と仕事と貢献について自分自身がしっくり感じないようじゃうまくいかないんだよ。誰一人として、欲求不満を抱え込んじゃいけないんだ。で、そういう環境を用意するという意味じゃ、マットはすごく腕が立つし、それに人選も優れていたとしか言い様が無いよね。つまり、この面子だとマットの作品が持つテンションをそのまま僕達も表現出来るわけでね。また、僕なんかは歌詞を書く人間とは特にそういう関係が必要なんだ。僕はさ、作品に対して強烈な情熱を注ぐような人間としか働けないんだ。その点、マットだけじゃなくてデヴィッドも理想の高い、優れたドラマーだと思うな。僕なんかそれまで、余りドラムには目が行かなかったところがあったけど、デヴィッドのお陰で随分とドラムスについて、また表現という事についても学んだんだ。また、ジェームズはそれこそベース馬鹿だし。だから、本当にこのバンドはうまくいくんだよ。皆自分の役割というものについて実に満足しているし、他のことは考えず、自分のやる事に全力を集中していればいいんだからさ。

では、確認の意味で訊きたいのですが、ザ・フェイス誌のインタヴューでモリッシーは、もしあなたが戻ってきてくれるのなら、自分はすぐにでもバスに乗って会いに行く、と発言しているんですが。

JM:へぇ・・・・・

でもそういう満足のいくバンドに入った以上、もう、そんなことはあり得ないわけですね。

JM:でも、なんだか、その発言、よくわからないなぁ。何かね。妙な感じだな。とにかく、僕がグループを後にした理由は、もうあのグループでやれる事は全てやり尽くしてしまったからなんだ。その点に関しては僕は間違っていないはずだよ。あのまま続けていたら絶対に良くないレコードを作ってたと思うからね。そんな作品を発表してしまったら、それこそ、僕達にとっては最初で最後の駄作になってしまうから、それだけは避けたいと僕は思ったんだ。それで、本音を言ってしまえば、モリッシーの(ソロ)レコードはかなりそれを形として証明してしまったんじゃないかな・・・・・。僕にしてみれば、モリッシーがソロでやってきた事はさほど感心出来ないんだ。ひとつやふたつくらいならいいものもあるけどさ。とにかく、モリッシーと僕は全く違った方向に育ってしまったという事なんだ。最初は確かに足並みも揃っていたし、友達でもあった。実際、モリッシーにグループを組もうと声をかけたのも僕だったわけだし。それで一緒に仕事をしたと。でも、仕事が発展しなくなった時、僕達の関係も終わったんだ。というのは僕達の関係は仕事に基づいたものだったからね。

ところで”マインド・ボム”にはあなたとマットとの共作曲が一つしかなかったのですが、この比重はこれからは変わっていくんでしょうか。

JM:でも、”マインド・ボム”に関しては、殆どの曲が既に事前に書かれていたからね。とにかく、僕に言える事は、作品の為なら僕は自分の出来る限り、努力をして行きたいって事なんだ。作曲能力のあるミュージシャンと働くのは僕にはこの上ない喜びなんだよ。僕には初めての経験でもあるし、また、いつもそれを願ってきたんだ。ただ、僕は昔からマットのファンでもあったから、このバンドを組んだ時から、マットの妨げになってしまうようなことだけには気をつけたいと思っているんだ。でも、もし、これからも更にうまく行って、バンド全体が求心力を持つようになったら、それこそ凄いだろうなあとも思うけどね。でも、要はさ、もしね、マットがピアノを弾いているところにギターでコーラスを付けてくれよって言われて、そこで、もしそのピアノがそれだけで充分のように思えたらさ、”一人でやった方がいいよ”って言えるように僕は心がけたいんだ。つまり、僕自身としてはレコードをより良いものにすることになるべく専念したいわけ。でも今回のツアーでは、例えば、サウンドチェックの時など、割と自然に作品を皆で作ってみる機会にも恵まれたけどね。まぁ、先になってみないと何とも言えない問題だけど、でも基本的にはグループとしてあまりよいものが出てこない時は、極力、マットに一人で引っ張っていくように勧めるつもりだ。

では、あなたなりの次のアルバムの展望を教えていただけませんか。

JM:そうだなあ、下手に先入観を作りたくないし、それに、このバンドは最終的にはマットのグループなんだから、気を付けて話さないとなあ・・・まず、非常にテンションの高いものになると思うな。飽くまでも僕の憶測にしか過ぎないんだけど、でも、バンドとしてはヘヴィーなものが好みなんじゃないかって気がするよ。だからバンドとしては、”グッド・モーニング・ビューティフル”が一番のお気に入りじゃないかと思うし。で、僕としては、ああいった感じで斬新なものが出来ると嬉しいんだ。実際、僕たちは最近のバンドの中じゃ、文字通り斬新な事をやってる数少ないバンドじゃないかと思うよ。音楽的な意味でも、また、歌詞的な意味でもね。また、僕自身も人間として、結構斬新なんじゃないかとも思うし。まぁ、とにかく、音楽的なことに関しては反社会的なところがあるし、また、反業界的だし、その他、伝統、ロックンロールなどに対して反発している所があるんだよ。それに過去の、例えば、60年代や70年代のもののインスピレーションに対してもだよね。僕なんかは実を言うと、伝統というものに対しては僕なりの敬意を払っているけれども、でも、僕の今の気分としては90年代を生きる若い音楽をやりたいんだ。そういう意味では非常にモダンなものになるだろうね。テクノロジーも最大限に使ってさ。そして、歌詞的にはかなり凄いものが期待できると僕は思うよ。それでなくても”グッド・モーニング・ビューティフル”とか”ヴァイオレンス・オブ・トゥルース”の歌詞はポップ・ミュージック史上最も優れた歌詞のひとつだと僕は思っているんだ。こういうと、やけに大袈裟に聞こえるかも知れないけど、でも歌詞をよく検討して貰えれば、よくわかるはずなんだけど。人々の尊敬というものはどうもジム・モリソン的なメンタリティを持っているものに傾き過ぎているように僕は思うよ。そういう人達の歌詞とマットの歌詞を比べてみたら、きっとそういう人達の歌詞はジャンキーの戯言にしか感じられないはずさ。それと、僕達には”ジェラス・オブ・ユース”というシングル曲もあるけど、この作品には僕達の音楽的アプローチがよく反映されてると僕は思うな。特にギター・プレイヤーとしては一番気に入ってるものの一つなんだ。自分としては”ハウ・スーン・イズ・ナウ”以来の出来だと思ってるよ。

ところでスミスの時はモリッシーが旅嫌いだったこともあってアメリカを除いてはワールド・ツアーもしなかったわけですよね。だから、今回のような規模のワールド・ツアーはあなたにとって初めてになるわけですが、今になってそういう経験を味わうのも妙な感じしません?

JM:うん。だって僕には全く無縁のものだと思ってたからね。大体ワールド・ツアーを行なうにはバンドはちゃんと統制がとれてなきゃ絶対に無理なのに、その点、スミスは乱雑極まりなかったからね。なぜかというと、僕がマネージャーだったから(笑)。僕がやってたんだぜ。まぁ、本当のところは一応、モリッシーと僕とで半々で分担してたんだけど。とにかく、そういう煩わしい事が数多くあったんだよね。とにかく、ワールド・ツアーをやるってことは僕が思うに、非常に血の通わないものになるか、それとも凄く血の通ったものになるかのどっちかなんだよ。というのはワールド・ツアーをやるにはまずマーケットが非常にでかくないと無理だし、そうなるとバンドの存在自体がとてつもなく大きなものになって現実離れしてくるからね。そうでもなきゃ、ザ・ザのようにガッチリと絆を固くして展開していくか、このどっちかしかやりようがないと思うんだ。後者の場合だと一種家族的なものになってくるわけでさ。例えば、兄弟だったら、片方が何か問題を抱え込んでしまってもそれは隠そうともしないもんだろう?幸いなことに、今度のツアーではそういう環境に恵まれてね。だから、問題を自分ひとりで抱え込んじゃいけないんだよ。自分をさらけ出して、そして、自分が選んだ相棒達が誠実である事を願うだけだ。で、今回、僕は自分の仲間というものに恵まれたんだと感じているんだ。皆ね、自分の気持ちや生活をオープンにしているし、お互いに対して理解を示すし、また、お互いに支え合っているし、必要な時には喝も入れてくれるし、で、これこそが気の合った仲間と一緒にいる喜びなんだと僕は思うな。実に信じられないほど僕は恵まれていると思うよ。特にザ・スミスを経験した後ではね、こういう事を当然の事として僕は受け止められないんだ。毎日がそれこそ新しい発見なんだ。今回のワールド・ツアーも日本が終わるとパリに向かって、それで終わることになってるんだけど、でも正直言って僕は帰りたくないよ。今じゃあ、ツアーが大好きになっちゃったんだ。だから、今回ツアーをやて本当に良かったと思う。だから、今度のアルバムかその次くらいにはね、もっと長いツアーを是非やってみたいんだ。ザ・スミスじゃとてもじゃないけど、無理な話だったからね。どんなに長くても6-7週間が限度だった。一番長かったのがアメリカに行った時で、それでもいつもバラバラだったしね。だから、今は本当に素晴らしいね。申し分ないよ。

日本でのライブでは、マット・ジョンソンよりもやっぱりあなたの方が知名度が高いせいで、あなたに対する声援の方が多かったように思えたのですが、ひょっとして、そのせいでマットに申し訳なく思ったりしませんでした?

JM:いや、でも、特に僕に声援が多いとも感じなかったけどな。日本ではそんな事なかったよ。マンチェスターとかだとかなり妙な雰囲気になるけどね。まぁ、それは当然予想されることだとしても、ちょっとやりにくくなる事は確かさ。でも、正直な話、日本ではそれはあまり感じなかったよ。あまり、たいした問題でも無いしね。まぁ、こんな事を言うとマットを困らせることになるかも知れないけど、とにかくさ、僕は誰かのグループに在籍するのが好きなわけで、で、今はマットのグループに現にこうして在籍しているわけだ。で、毎晩、彼を見ながら僕は歌詞に耳を傾けているんだよね。昔、レコードで聴いてたようにさ。つまり、僕は本当、マットのファンなんだ。で、このバンドをやってていいなと思うのは、オフ・ステージなんかでふと、ただのマットのファンだった頃の気持ちを思い出せるってことなんだ。その辺の僕の気持ちが全然変わってないんだよね。

これだけ、ツアーやら何やらこなしてきてその純な気持ちがまだ健在だというのも、かなり珍しいことですねえ。

JM:そう。で、そういうのは僕には非常に大切なことだから、失わないようにしたいんだ。今でも”インフェクテッド”がリリースされた時のことをはっきりと思い出せるよ。どんな気持ちでレコードを聴いてたかもよーく思い出せるんだ。あと、これはマットと働き始めた時に話したことなんだけどさ、ザ・スミスのアメリカン・ツアーの時のことでね。その当時、僕は既にデヴィッド・パーマーと将来バンドを組むことは考えていたんだけど、ひょんなことから”アンジェロズ・ディセプション”を耳にしたんだよね。で、4-5回聴いたのかな。そうして、僕にははっきりわかったんだよ。この曲が初めてライブで演奏される時、それは必ず、僕が弾く事になるだろうってさ。疑う余地も無い程強い確信だったし、また、その光景までもがはっきりと僕には見えたんだ。演奏している具合とかね。その話をしてただけにね、あの曲を初めてやった時のマットのニンマリ顔ったらなかったよね(笑)。でも、これ、本当の話なんだよ。それと、もうひとつ言っとくと、マットの歌詞って僕には本当にかけがえのないものなんだ。若い、一人の男の子としてさ。でも、モリッシーの歌詞に僕がそんな共感を感じることは無かったんだ。確かに、モリッシーと働いていた時、僕は本当にモリッシーのことを誇りに思ってた。なぜかというと、モリッシーはポップ始まって以来、最高水準の歌詞を送り出してきた作詞家だと思うからなんだ。モリッシー程ウィットの効く作詞家は他にはいないし、あと、あの何ともねじ歪んだ内面、あれほどユニークなキャラクターなんかどこ探したっていないって。まして、ああいうユニークさをああいうすごい形で提示できる作詞家なんて絶対にいないと思うよ。あそこまでやれる人はそういないもんなんだ。でもね、僕の人生というのはモリッシーとは全くかけ離れてしまっているんだよ。だけど、マットの歌詞には僕はいつだって自分の事をも照らし合わせることが出来るんだ。今だから、こんな話をしてるわけじゃないんだぜ。とにかく、モリッシーの歌詞はすごく性的でもあって、そしてモリッシーのセックス観と僕のとでは全く違うんだ。でも、マットとはそう違わない。また、マットと僕はその人生の過ごし方がかなり似ているという事もあってね。幻を必死に探して自分をどんどん惨めにして行ったこととかさ。二人とも、薬を乱用した時期があったし、自分たちの精神が何かを力強く希求した時期もあったんだ。だから、マットの自伝的な歌詞には僕はとても興味をそそられるんだよ。で、そういうことってそう滅多にあるもんじゃないんだ。だから、将来、僕は自分がこのバンドに身を置いたということに対してきっと深い満足を感じるだろう、と思うよ。また、スミスでは政治的な話題は全く扱わなかったし、実際、僕なんか日増しに政治に対する関心を失ってはいるんだけど、でも、昔は凄く興味があったからね、そういうのもやってみたかった。しかも、僕がやりたかったようなものは必ず、マットがやってたわけなんだからね。だから、政治的に、精神的に、そして性的にも共通するものがあるんだよ。僕達は凄く似ているんだ。勿論、似ていないところだって沢山あることもまた事実だけど。とにかく、マットはいつも、目の前にあるものの更に向こう側にあるものを求めているんだよ。で、時として危険な時もあるけど、でも、いつも、いいレコードを作ってると思うよ。

それではあなたが心の底から一緒に仕事をやりたがった二人、つまりモリッシーとマットの共通点といったらどういうものになるでしょう。

JM:ある種の激しさだよね。これを言うと結構、皆が驚くんだけど、実を言うとブライアン・フェリーも同じ強烈さを持っているんだよ。出来上がってくる作品はちょっと軽いタッチになっているけど、でも、僕はすごく凄く尊敬しているんだ。何て言えばいいのかな、とにかく、よく言われるようなナルシスティックな人間じゃないんだ。非常に自分に厳しいし。実際マットの方が節度をわきまえていると思えるくらいだよ。まぁ、それはともかくとして、モリッシーとマットに関してはその、強烈さが共通していると思うな。それだからこそ、今の僕も気分良くギターに集中出来るんだ。僕も強烈なギター弾きだからね。でも、その点、ギター弾きはギター一本に全てを集中させればいいから楽だと思うよ。マットはさ、何から何までそのヴォルテージを行き渡らせなければならないわけだから。歌詞、音楽、ヴィデオとかでさ。で、二人の違いと言ったらね、まず、モリッシーは世界と対峙して、自分の為に、自分の事を歌にしていくんだね。でも、マットは自分の為に、世界と自分の事を、併せて歌い込んでいくんだ。そして、幸いなことに、今では僕もその世界に含まれているんだね。

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