ROCKIN'ON 1990/JUN.

インタヴュー:増井修

ザ・スミス時代に較べて、今のあなたはひたすら歌を支えるプレイヤーに徹しているという印象が強いのですが。こうした変化は意識的に行なわれた事なんでしょうか。

「うん、そう、自分からそう変えていったんだよ。とにかく、自分がギターを習い始めた頃、僕は別にギタリストに影響を受けたわけじゃなかったんだよね。僕が影響を受けたのは僕が好きな作品そのものや作曲家からだったんだ。モータウンから聴き始めてそこから色々と遡っていってね。で、僕がギターを弾き始めた時、僕はそれこそバンド・サウンドをギター1本で再現してみたかったんだ。例えば、アコースティック・ギターを弾いたら、それだけでテンプテーションズの様に聞こえて欲しかった。ギター一本なのに低音部も高音部もハモっているかのようにね。で、そういうスタイルを追求して行くうちに、自然と作曲にも興味が向くようになったんだ。ザ・スミスでの僕の役割は、そうした方向性に沿ったものだったけど、次第にそれが過剰なものとして感じられるようになっていった。ひたすらメロディを引き続ける事になってさ。だって、ザ・スミスはキーボードも無かったし、バック・コーラスも無く、ギターは1本しか無かったからね。つまり、楽器の音でメロディを奏でるものは僕のギターしか無かったから、僕は休む暇なくメロディを弾いていかなければならなかったんだよ。でも、僕だってプレイヤーとして上達したかったから、自分の演奏の幅をもっと拡げたいと思ってね。例えば曲の途中で音を変えたり、もっとダイナミックな事もやりたかったんだ。だけど、いくらそう思った所で、スタジオでならまだしもライブではとてもそんなわけには行かなかったんだ。だから、ステージに出ると最初の曲からアンコールまでとにかく、バンド・サウンドに貢献するギタリストになったわけさ。そうやって作ったレコードやライブには僕も誇りを感じているけど、でも、ギター・プレイヤーとしてはやっぱり欲求不満が溜まったな。僕だってもっと新しい事を色々試みたかったし、だからこそ僕達は第2ギタリストだって入れたんだからさ。そうすることでギタリストとしての欲求不満を解消できると思ったんだよね。・・・・で、マットと一緒になってみると、マットは僕が過去にやってきたものを非常に気に入ってくれてた事が解ったんだ。でも一緒になったその瞬間から、僕が試してみるべき方向性がマットには本能的に解ってたみたいで、色んな音の感触を試しながら派手にやってくれって注文をつけてきたんだよ。それでフィードバック、ハウリングなど今までやってなかったようなノイズを色々出してみたりしてさ。昔のバンド・サウンド的アプローチと全く違った感じのね。また、サポーティブという点に関しては、最近、そういうギター・プレイヤーがめっきり居なくなってしまったな、と気がついてね。とにかく僕はまず曲ってものを必ず念頭に置いてるわけで何をやるにしてもそれが動機になっているんだよ。テクをひけらかしてただ、弾きまくってるだけのギタリストなんて、昔から馬鹿だと思ってきたし、それにあんなのとても音楽とは思えなかった。僕の演奏における大原則は、僕は伴奏者なんだという事さ。作曲もする、でもミュージシャンとしての自分は歌詞やムードなどを支える伴奏者なんだと思っているんだ。とにかく、今は音楽というものとギターというものが別な方向へ向かってしまっている感じだからなぁ。そういう時勢だとサポーティブなギタリストが少ないから僕がやってることが珍しく感じられるだけでさ、僕にしてみたら、それはごく普通にミュージシャンをやっているという感触しかないよ」

じゃあ、驚異的なテクだけで人を印象付けるようなギタリスト連中は昔から、馬鹿にしてきたんだ?

「そう。それもきっと僕が50年代に生まれていなかったからだろうね。50年代に生まれて60年代に育っていたなら、僕だってきっとそういう演奏にも興味を惹かれたはずだと思うからね。と言っても、例えば、ジェフ・ベックなんかは僕だって好きなんだよ。彼なんかはギター・ヒーローのメンタリティってものをひとつの極限まで持ってった人だからね。でも、ジェフ・ベックはもう居るんだから、同じような手合いのギタリストはもう要らないよ。また、ジミ・ヘンドリクスは今世紀において最も偉大なミュージシャンの一人だったと思う。これにはもう、疑いを挟む余地も無いね。それもテクニック的な事じゃなくて、あの音を動かしているソウルのせいでだよね。でも、それはともかく、ギター・ヒーローのイメージ一般になると、これは非常に時代遅れなものだし、特に90年代においては重要性もさして感じられないと思うな。特に、あの性差別的で、やたらに”男”というものを強調して、エゴが肥大化してて、そのくせミュージシャン、特にポップという概念から100万光年もかけ離れてしまっているあのイメージ、あれにはどうにもついていけないね。それに、あのダサさが僕には耐えられないよ。もし、僕が14くらいの男の子でああいうガードルみたいな服を身に纏ったギタリストなんか見掛けたら本当に心から軽蔑するはずだよ。まぁ、そういうイメージを非難するのは確かに簡単なことなんだけど、こうしたギタリストの姿勢ときたらそれこそ、とてつもなくクサい。だから、僕はそういう連中とは一切関わり合いたくないんだ。僕の名前が他の偉大なミュージシャンと一緒にギター・グレイツとして挙げられたりすると、そりゃあ、僕だってね、嬉しくなるよ。でも、そういうギター・グレイツの長い伝統の最終的な継承者みたいに扱われたくは無いんだ。僕はただ単に90年代に生きる現代人として、自分の回りにあるテクノロジーやその他諸々のものを吸収して何とかやっていきたいだけなんだ。だから、ギター・ヒーローというものには全く退屈してしまうだけだな」

でも十代の頃、国営アパートから出てきて、ザ・スミスを結成して盛り上がり始めた頃なんかはまだ、そういうギター・ヒーロー的なメンタリティを身に付けていたんじゃないでしょうか。

「うん、それはあったね。いきなり凄いスケールでザ・スミスは大きくなってしまったから、舞い上がりやすい状況でもあった。でも、モリッシーのキャラクターがあまりにも強烈で、おまけに僕がそのパートナーだったから、必然的に僕まで、あるキャラクターを押し着せられてしまったところがあってね。で、これは、もう本当に使い古しの文句でしかないけど、僕は明らかにメディアにレッテルを貼られたんだ。あの、”キース・リチャーズの私生児”という箱に押し込められてしまったんだよ。で、白状するとさ、確かに、僕はキースの生き方ってものにかなり影響を受けてるんだ。何もドラッグでヘロヘロになるとか、そういう事じゃないよ。そうじゃなくて、彼の、ロックンロール・バンドの追求の仕方をとても尊敬していたんだよ。ドラマーに対するああいう謙虚な態度、あの頑固なまでに伝統的な一面、そしてギグや音楽のためなら手段を選ばないというやり方にさ。だから、あのキース・リチャーズ・シンドロームの大体の責任は僕の方にあることは僕も認める。でも、駆け出しの頃、僕はまだ18のガキだったんだから、ああいう憬れを持ってた事は至極、当たり前で自然なことだったと思うんだ。それなのに、メディアにどんどん僕の憬れとは関係の無いキャラクターに作り上げられてしまってさ。また、そのキャラクターは特に僕には着させやすいものだったんだよね。あの当時、僕は自分の内面を誰の目の前にもさらけだそうとしなかったからさ。おかげで僕についての大きな誤解が生まれてしまったわけだ。”一晩中寝ないでロックンロールだぜぇい”的なさ。僕がキースから学んだ事は、プロフェッショナルなミュージシャンとしてどう生きるかって事だったわけで、彼の享楽的な一面は僕には関係の無い事だったんだ。でも、そういう誤解は容易に生まれやすいものだったんだよね。何せ、モリッシーときたら聖人然としてて、雰囲気はきれいで、オスカー・ワイルドの子孫のようで、本の匂いがぷんぷんしてたからね。一方の僕は小汚い浮浪児みたいでさ。ところが、それから5-6年も経ってみると、今度はどうした汚いなりじゃないと流行らなくなったりする。今の流行りじゃ煙が耳から出てくるくらい大麻を吸わないとかっこよくないんだ。新手の不良イメージとでもいうのかな」

最近の若手のバンドのことですね。

「そうそう、今うまくいってるバンドがそうだよね。本なんか、凡そ読みそうも無い、あんちゃん風が今トレンディなのさ。まぁ、とにかく、僕はそんな風にして浮浪児的なイメージを植え付けられてしまったという事だ。勿論、そういう資質を持ってる事くらいなら僕だって認めるよ。でもそれだけじゃないんだからさ」

ところであなたは音楽博士と言われるほど博識でレコードも沢山持っているという話ですが、一体どれぐらい持っているんでしょう。

「何千枚とあるよ。まぁ、僕の情熱がそこに注がれてしまうわけだからさ、しょうがないんだ。とにかく、昔、当時の自分の回りにあった音楽を見回せば見回すほど、古いものへと向かう衝動に駆られてしまってね。だから当時の音楽が僕のレコード熱に駆り立てたというわけなのさ。そういう音楽は、大体、15くらいの時に見切りをつけたんだ。何もかも、パンク・ロックだったからさ。僕なんかはパンクが始まった76年にはまだ13歳だったわけで、クラブに出掛けては唾を吐くにはまだ幼過ぎたんだ。それに、まだガキだったから、政治的なスタンスなんてさっぱりわからなかった。だから、僕にとってパンク・グループは悉く下手なバンドでしかなかった。ジャムとかみたいにね。そうでなきゃ、汚いものでしかなかった。クラッシュみたいにさ。こっちは折角一生懸命、ギターが弾けるように練習してるのにさ、いきなりギターをブッ壊すことが正しいことになってしまってまいったよなぁ。で、僕は僕で、あんな連中より自分の方がよっぽどうまいぜなんて思ったりしてね。まぁ、そういった意味じゃ僕は少し時代遅れだったんだ。それで、すっかり当時の音楽が嫌になって、どんどんレコード収集癖に走ることになったわけさ。特にフィル・スペクターが好きだった。エルヴィスはちょっとかじったくらいだったね。あと好きだったのは初期のローリング・ストーンズを始めとするR&B、ジョン・リー・フッカー、ハウリン・ウルフとかね。あと、女の子グループもね。シャングリラズとかクッキーズ、とにかく77年以前のものだったら何でもよかったんだ。で、今でもあのレコードに対する情熱は失せてないんだけど、でも、もう正直言って、好きなアルバムは隅から隅まで憶えてしまっているくらいでさ。そうなっちゃうと、ちょっと寂しい気もするんだよな。でも、それでも探し続けるんだ、僕は。スリム・ハーパー*やオーティス・ラッシュ。いつだって買ってみたいレコードはあるはずさ。ただね、自分が好きになりそうな古いポップスレコードはもう全て聴き尽くしてしまったんじゃないかと思うよ。でも自分にはその方がいいんだと思うんだ。これからは自分が聴きたいものは自分から作っていかなきゃならないわけだからさ。そうやって自分から形にしていかないとね。と、言っても相変わらずレコードは買っているんだけど。未だにジミ・ヘンドリクスの海賊盤を買い漁ったりしてるんだから。結局、レコードが好きなんだよ」

あなたくらいの知識と経験があれば、新人を発掘してプロデユーサーをするのもそう難しい事じゃないと思うんですが。例えば、ニュー・オーダーのピーター・フックみたいにストーン・ローゼズを見つけてきたりして。そういった方面には興味はないんですか?

「あるんだけど。でも、それはまだ将来の為に取っておきたいんだ。それに正直言って、僕は今レコードを作るんで忙しいんだ。例えば、ニュー・オーダーのバーナードとね(笑)。だからフックは新人グループのプロデュースばかりやってるんだよ。その点、僕は作品を書くのに追われているからさ。でもフックはその方面はなかなか腕が立つよねぇ。スタジオ経営とかもさ。僕は、それこそ、次の曲想がいつ閃くかって事で毎日が心配なんだ。フックには別にそんな悩み、ないんじゃないのかな。とにかく僕は毎日、結構不安になるんだよ。で閃きはその日は来ないかも知れないし、その週も来ないかも知れない。でも、8日目に突然、閃いたりするんだ」

ところでマンチェスターは今、ストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデイズ、インスパイラル・カーペッツなどのように優秀な若手のバンドが出てきていますが、同じマンチェスターの人間として、そういう現象はわくわくするものなんでしょうか。

「要するに今、何が起こってるのか説明すると、マンチェスターでもう3年間は続いている動きに、他のイギリス、アメリカそして日本などの人達がようやく気がついたという事なんだ。で、突然、新たなシーンとして騒ぎ出したんだね。だから、地元の人間はちょっと当惑しているという感じだよ。いつもいつもロンドンからジャーナリストがワサワサ来ては”どこそこのバンド知ってるか”なんて探し回ってて、皆も本当に疲れちゃったって感じだな。それに、そういう風に流行りとして持ち上げられてしまうと、その分、廃れちゃうのも早いからね。流行りってものはいい形では定着しないものだし、その点では確かにマンチェスターの人々にも悪い影響を与え始めてると思うな。とにかく、マンチェスターの盛り上がりは実にバズコックスから始まってハッピー・マンデイズに至るまで約11年も続いてるわけで、その間のマンチェスターの影響力ってのは絶大なものがあったんだよね。バズコックスに始まってモノクローム・セット、ア・サーテン・レイシオなどとあったけど、やっぱり一番影響力があったのは、バズコックスとニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョンだよ。というのは、ジョイ・ディヴィジョンなしにはU2など考えられなかったからなんだ。まぁ(笑)、いきなりそう言われても賛同しかねる人も多いだろうけど、ジョイ・ディヴィジョンなしにはU2もエコー・アンド・ザ・バニーメンの成功もありえなかっただろうし、ましてザ・キュアーなんて絶対に存在出来なかったはずなんだ。そういう意味じゃジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーはおそらく、80年代において最も影響力を誇ったグループだったと思うよ。というのは、例えば、バーナード・サムナーはそれこそ、ギターの弾き方は滅茶苦茶かも知れないけど、80年代において最も影響力を及ぼしたギタリストであることには変わりないからなんだ。確かに彼はうまく弾けないけど、そこがミソなのさ。技術的には下手糞だけど、ザ・キュアーにしたって、メロディなどは弦を1本しか使ってなかったりしてるしね、それはバーナードなくしては絶対にまかり通らなかったはずの事なんだ。で、例えば60年代にリヴァプールで盛り上がったマージー・ビートだったら、時代が今に較べて非常にナイーブだったのと、ポップ・ミュージックがまだ新しいものだった事もあって、非常に大きな影響力を持っていたはずなんだ。でもその勢いは約3年で終わってしまったんだよ。そして、それ以後イギリスとアメリカの各地で起きた様々な音楽の盛り上がりはどれも三年くらいで終わってしまったんだよね。それに対してマンチェスターが11年も影響力を持ち続けているという事実は、それは今でも僕が誇りに思っている事なんだけど、とてつもなく凄い事なんだとやがて世間一般でも言われるようになると思うよ。今、皆は現在のマンチェスターの流れを最先端の流行として受け入れていこうとしてるわけだよね。例えば、ザ・スミスが始まった頃も今と同じで、皆が僕達のことを新しいマンチェスターの流れのひとつだと理解しようとしてたんだ。で、僕達はそう指摘されて当然、それを否定したんだ。なぜなら、僕達はそんな風に自分達の事を考えた事は無かったし、元から僕達は一人一人が外れ者だったし、それに、そんなことを認めてしまったら最後、そういう範疇に括られてそこから外へ出られなくなることを充分にわかってたからなんだ。だから、ストーン・ローゼズもハッピー・マンデイズも絶対に自分達の事をマンチェスターの動きの一環であると言ったりはしないだろう?連中も頭がいいんだよ。そんな風に持ち上げられていつ果てるとも知れない流行りの中で括られるなんて、連中だってまっぴら御免なのさ」

バーナードと組んだエレクトロニックでは、ザ・スミス時代は毛嫌いしていたエレクトロニクス・サウンドを使っているので僕などは不思議に思ったのですが、あなた自身としては全然、矛盾は感じなかったんですか。

「いや、別に。・・・・視野を拡くしてみただけの話さ。気が変わっただけ(笑)。とにかくザ・スミスを最初に結成した時には僕達は確固たる方向性と目的をちゃんと持っていたんだ。つまり、僕達にはティアーズ・フォー・フィアーズ、OMDなどの流れに対しての反発といったようなね。僕には彼らの作品には中身が少しも感じられなくてさ。唯一、感じられたのはソウル・マイニングとスイサイド、それとクラフトワークに少しばかしという程度だったからね。特に反発を感じていたのはOMDやティアーズ・フォー・フィアーズだった。それは彼らのテクノロジーの使い方が本当に底の浅いものとしか思えなかったからなんだ。で、エレクトロニックはどういう風に実現したかというと、これが結構おかしな話でね。一年半前のことなんだけど、バーナードが僕の所に来て、一緒にレコードを作ってくれないかと話を持ちかけてきたわけさ。それで、どうしてレコードを作りたいのか、その辺の事を話し合ってる内に僕もやりたいなって感じて。その主な理由はまず、普段、強制される煩わしい作業を全て排してレコードを作りたいという事だったんだよ。プロモーションとかね。”これ、僕の新しい商品です”と触れ回るのは止めにしたかったんだ。要するに、バーナードは単なる音楽ファンなわけさ。あまりポップ・スター向きな人間じゃないんだ。偶像化されるのは好きじゃないし、その他諸々の面倒なことも好きでもなく、ただ作品をたまにリリースしたいだけなんだよ。で、そういうことは僕も凄く共感するところがあるから、色々と話を詰めてみたわけさ。顔ぶれだけ見ると、コンセプトがしっかりしているようなスーパー・グループみたいだけれど、全然違うんだ。本当は業界のしきたりに辟易とした2人が気ままに作ってみただけのものなんだよ。それに、よく考えてみると、僕がエレクトロニクスやテクノロジーを駆使したものに魅力を感じた理由の一つとして、スミス時代にあそこまで拒否した反動が出たということがあるんだと思うな。大体、ザ・スミスをやめた時、僕はそれこそやたらめったら叩かれたからさ、僕自身は逆に僕に幻滅したような人間をどんどん自分の回りから閉めだすような行動に出たんだよね。あの時ほど、メディアとファンに落胆させられたことは無かったからね、腹いせ的なものもあったんだ。それとあと、機械的な音にギターを重ねて行くのは結構面白い作業だと僕は思ったんだ。まだ、誰もまともにやったことのない分野だし。で、バーナードなんかはエレクトロニクスの方面で本を書いてるくらいだから、どうせやるならそのくらい詳しい奴と一緒にやりたいと思ったし、実際凄く色んなことを学んだんだ。まぁ、そういうわけで僕としてがさほど矛盾は感じなかったな。むしろザ・スミスの頃の方が、若かっただけに変に教条的になってしまったところがあったと思うよ。僕達が提示してたものは終りの頃には段々とドグマのようになってきててね、そのせいで却って身動き出来なくなるという、墓穴を掘っていたんだ。あまりにもたくさん約束事が出来あがってしまったんだ。だから、例えば、ザ・スミスではシークエンサーさえ使えなかったんだぜ。ザ・スミスの作品にインストゥルメンタルの作品が一つあったんだけど、これが何故イントゥルメンタルになってしまったかというと、モリッシーが頑として歌ってくれなかったからなんだ。というのは、僕がその曲でモールス信号をシークエンサーで使ったからそれが許せなかったんだ。もうスミスも終わる寸前の頃の話さ。でも、あれを聴いてもらえば、僕がそれから次第にエレクトロニクスに接近したとしてもそう不自然なことではないとわかってもらえるはずだよ。でも、あの曲に対するファンの反応も本当に馬鹿げてたよなぁ。あの時、僕自身の人格というものは全く無視されてしまったからね」

*スリム・ハーパーはスリム・ハーポの間違いかと思われます。

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