ROCKIN'ON 1989/OCT.

(From NME Text By Dave Haslam)

ダーティ・ジョニー

あなたのような立場にいる人はどうしてもいい加減なことを書かれやすいわけですが、やっぱり怖いですか?

「それについてはスミスを始めて一年目に諦めたよ。僕が自分の中で大丈夫だと思っている限り人生はちゃんと進んで行くだろう、と思ってね。ただひとつ難しいのは、いっぺん曲がったものをどうやってまっすぐに直すか、って事でさ。時々、みんなの腕を掴んで”違うんだ!ほんとはこうなんだよ!”って言って回りたい気持ちに駆られた。でもこの仕事を続けていく限り何やかや書かれるのは仕方無いんだってことは分かってる。身のほど知らずのどっかのミュージシャンみたいに年がら年中文句ばかりたれてるつもりはないよ」

そうはいってもスミスのようなグループにいれば、世間一般から受けるプレッシャーも尋常じゃなかったでしょう?

「僕は超有名人てのにはなりたくないなぁ。プライバシーの侵害たるやあまりに凄まじいものがあるからね。スミスの周辺では異様なヒステリー状態が育ってきてて、それは明らかに問題だったんだ。別に僕らが過大評価されてたっていうんじゃないよ、僕らは評価に値することはやってた。でも僕らのやることなすことに馬鹿馬鹿しいまでのスポットが当たってたってのも事実でね。時々、自分でも何だかよくわからなくなる事があって、それが結局はバンドを辞める理由の一つにもなったんだ。僕がスミスを離れたことは他のメンバーに対する攻撃みたいに書き立てられたけど、全然そんなんじゃなかったんだよ。僕ら全員、結局はマンチェスターに帰ってきたもんね。それ自体がひとつの印だよ。ロンドンで解散して、皆こっちへ戻って来たんだ。バンドは最初はロンドンに移った時に解散への第一歩を踏み出したんだ、それは間違いない」

坂道を下り始めてるな、という感じのした時が実際にあったわけですか。

「最終的に解散する前の、少なくとも一年前か、いや一年半ぐらいは楽しいとはいえなかったね」

でも、これはもう、解散は避けられない、とはっきり感じた時はあったんでしょうか。

「あったね。その時はもう、僕にはこれ以上我慢出来ないというだけじゃなかった。もしこのまま続けていたら誰一人我慢出来やしないだろう、って思ったんだ。スミスの他のメンバーは皆、僕が自分だけいい思いをしたくてやったんじゃないってわかってくれてるよ」

朝、目が覚めて、ああもうスミスは存在しないんだって後悔することはありません?

「ない、それは全然。僕の事気にかけてくれてる周りの人達も同じ気持ちだね。皆の目を見ればそれは分かる。僕は病気で、家を遠く離れて、音楽的にも今後どうなるのか全く見当のつかない状態だった。完全に頭がおかしかったんだよ」

ある意味でスミスのようなグループは一定期間花開いて潔く終わった方が、だらだらいつまでも続くよりいいと思いますか。

「絶対そう思うよ。スミスに関して言えば全ては過去に達成したことがエネルギー源になってたけど・・・まぁそれが勿論成功の証なんだろうし、だからそれはそれでいいんだけど・・・でも、バンドをやってて一番スリリングなのはこれから何をしようかって色々計画することだからね。僕らは確かにある時期からそれが出来なくなってたんだ。それに、僕ら4年も5年も一緒にいたわけで、一つのグループとしてはもう充分だよ。今僕はザ・ザでマット・ジョンソンと仕事しててとってもいい感じでやってるけど、もし5年後も一緒に曲を書いたりプレイしたりしたとしたら驚くよな。でもそう言ったからって、スミスは今でも僕にとってはこの上なく素晴らしいものなんだよ。何と言っても僕が若い時に体験したとてつもない冒険だったんだから」

プリテンダーズとの仕事(スミス解散の直後)と現在のプロジェクトとの間に、ジョニーはトーキング・ヘッズやカースティ・マッコールといったミュージシャン達とも一緒に仕事している。

「それから他にも僕はアダルト・ネットと、ボビー・ウーマックと、あとキース・リチャーズとも、仕事した事になってるらしいよ。他のミュージシャン達はただコンニチハって会えるのに、僕はどうもいつでも噂を立てられちゃうんだ」

そして今、勿論、彼は再びバンドという形態に加わった。

「マットはモリシーより昔から知ってるし、スミス結成の前に殆どザ・ザに加わるところまで行ってたんだ。マットがロンドンに住んでたからなんだよ、僕らが結局一緒にプレイしないで終わっちゃったのは。スミスが生まれかけの頃、丁度彼は”ソウル・マイニング”を書き始めてたんだ」

ジョニー・マーは昔から、あまり多くのインタヴューを受ける人間ではなかった。

「インタヴューを受けるコツみたいなものに長けてるわけでもないし。僕はただギターを弾くだけ。そう言ってずっと逃げてきたんだけどね」

あなたは昔から筋金入りの音楽ファンでしたよね。年がら年中何か聴いている、という感じなんですか。

「別に必死で聴いて流行に遅れないようにしようとしてるわけじゃないけど、でも音楽は一日中かけてるね、うん。一応まともなラジオ番組は聞くし、クラブとかに行くのも新しい音の情報源にはなってるな。ここのところはデ・ラ・ソウルのアルバムをずっと聞いてるよ。あれは凄い。それから勿論ハッピー・マンデーズ。地球上で最高のグループだね」

耳から入って来るものには全て何かしら影響されます?

「うん、良くも悪しくも。いつも、これは使えるなとか思いながら聞いてるんだな。必ずしもコード進行とかじゃなくて、もっと、曲そのもののスピリットの部分なんだけど。スミスの終りの頃には、友達と聴いてるレコードの方がバンドの連中と聴いてるレコードより面白かったんだ。極端な時はスライ・ストーン対ハーマンズ・ハーミッツ、みたいな事さえあった。勿論、自分がどっち側かはっきりしてたしね。これはスミスに限った事じゃなくて、一定のスタイルを創り出し特定の政治的様相を呈した活動をするバンドには全ていえる事だけど、だんだん同好会っぽくなっていっちゃうんだよね。で、その中でこれはオシャレ、これはダサイ、ってのが出来てきちゃうんだ。初期の頃、僕らは徹底してアンチ・シンセサイザーだった。当時はリーバー・ストーラーだのシャングリ・ラだのに夢中なギター・バンドなんて存在しなかったし、ブライアン・ジョーンズ風の髪型の奴なんか何処にもいなかった。それが今となっちゃ、そういうものが白人ポップの救世主のように言われてるだろ。しまいには僕ら、自分で自分を音楽的にも政治的にも袋小路に追いやるようなことになってしまった。とにかくかすかでもスライ・ストーンやファットバックを連想させるものはだめ、みたいな事になってしまったんだ。実際、ツアーの時に僕が何を聴いてるか知ったらファンは血相変えて怒り狂ったに違いないって時期があったもんなあ!でも僕はこうなって運が良かったと思うよ、だって今は自由にマシンいじりが出来る状態になったわけだから。スミスの時はとにかく、曲が生まれたその瞬間からテープの隅々に渡るまでどういう作業をするか綿密に分かってるって感じだったんだよね。そういうやり方がうまく行ったのは良かったけど、今はもっと偶然の介入する余地があるんだ。スミスでは、新しいテクノロジーも何も一切許されないって所まで行っちゃってたからさ」

ファットバックに反対だったのは多分ファンだけじゃなくて、モリシーもだったんでしょう?

「ま、彼にへばりついていちいちお伺いをたてたわけじゃないからねー。でも、確かに同じものだったから、モリシーの意見とファンの意見てのは。それは当然だったんだ。その事は分かってたよ」

つまりファンを一定方向へひっぱっていったのはモリシーだったわけですね。

「そう、彼はファンを自分の思う通りに導いてた。あれにはほんとにゾクゾクしたよ。自分達のやることの一つ一つに僕はゾクゾクしっ放しで、そしてそれが感じられなくなった時に僕は辞める事にしたんだ。ただ一つ言っておきたいんだけど、ラスト・アルバムを作ってる最中は僕はとっても楽しかったんだよ。その前も、その後も辛かった、でも辞めようって決めたのは後だったんだ。あの悪い雰囲気を引きずってツアーに出てLPのプロモーションをやったりしてたら、事態はもっとずっと醜悪な事になってたと思う。あれは醜悪な私的衝突であり、同時に醜悪な公的衝突でもあった。でも公的衝突は作り話のようなもので、新聞がそれを三文芝居さながらに書き立て上げたんだよ。ほんとの事なんて何ひとつ書いてなかった。それに対して僕らの周りの人間、僕の側の人間もモリシーの側の人間も含めて皆がまた極端に反応してすっかりのぼせあがったもんで、話がますますあらぬ方へいってしまったんだ。そんなのはもう、僕のモリシーに対する気持ちやモリシーの僕に対する気持ちとはこれっぽっちも関係の無い事だったし、これは今の今まで変わらない。本当に馬鹿げてるよ。そんな風に自分達が世間の遊び道具になってしまったことを考えるとうんざりする」

スミスの解散が現実化したとき、人々はあなたとモリシーのどちらに才能があるかとか言って、エゴの張り合い云々という話にしてしまったでしょう。

「僕がミュージシャンとして育ってきた事でひとつ良かったのはね、自分が今どこにいるかはっきり分かってるってことなんだ。舞台の右手か左手の奥のほうで弾いてるわけで、決して真中には出てこない。偉大なギタリスト、それは昔からの夢だったけど、一度だってグループの一番前に立ちたいなんて思った事はなかった。僕は今後も決してモリシーや、他の一緒に仕事するシンガー達以上に有名になるなんて事もなければレコードが売れるって事もないだろうし、そんな事望んでもいないんだ。本当言って、80〜90年代にギタリストなんてものがこんなにも有名になれるって事自体がびっくりだし、僕はもう充分って感じだな。もうここまで来れば結構ですって感じ、この点に関してはね」

一部の人々はあなたがスミスを終わらせたんだと言っていつまでも責め続けると思いませんか。

「一生許さないって連中もいるだろうね。あの頃、僕が全てをだめにして裏切り行為を働いたんだと思った人達から山のように手紙が来たよ。みんな、世界中で一番大事な事は自分の好きなバンドが解散しないでいてくれる事だと思ってるみたいだな。でも実際に起こってるのはどういう事だったのか、誰も何も知っちゃいなかった。みんな僕の事、バンドを潰すぐらいならいっその事死んでくれた方がまだマシだと思ってたんだよ。まあ、彼らにとっての問題はそういうものだったんだ。でも僕の問題は違った」

さっきあなたは、今でもスミスは素晴らしい思い出だと言っていましたよね。実際に、自分達は確かに何かを勝ち得たんだ、今全ては完璧だという風に感じた瞬間はありましたか。

「あったけど、でも本当に正直なところを言うと一瞬でもどこかしらから問題が湧き出して来ない事なんてなかった気がする。モリシーと僕の周りには法律的な用件がどんどん山積みになってきてて、そういうのを片付けるのが本当に大変だった。ああいう組織を一つ運営していくうえでモリシーや僕が避けて通れなかった数々の実務的問題があってね、あれにはもう、つくづく疲れたよ。勿論、物事うまく進んでる時もあった。”ハンド・イン・グローブ”を作った時ね、あの時は素晴らしかった、なんたって凄いレコードだから。それから”クイーン・イズ・デッド”を録り終えた時。あのLPは僕らが作った中でベストだと思うな。でも、一度だって机の上に足を投げ出して”う〜ん、言う事なしだな”なんて気分になれた事はなかった」

今はどうですか。

「そりゃさ、今でもまあまあって感じだよ。思いっきりニコニコして歩いたりはしてないけど、前より幸福な事は確かだね。前より沢山プレイしてるし、音楽を作るのが楽しい。今の方が幸福だって堂々と言えるのはそれなりに蓄えがあっての事なんだけど、でもそれで当たり前だとは決して思いたくない、音楽はずっと作り続けて行きたいよ。一人のミュージシャンとして僕がやろうとしてきた事を理解してくれてる人達の事は、僕は本当に信頼してる。でも一度は”オシレイト・ワイルドリーを夜通しヘッドフォンで聴いてるんだ”なんて書いてきたのに、音楽誌に何か書いてあるのを読んだだけでコロリを僕に対する見方を変えちゃうような人達に関わってる時間は僕には無いよ。スミスの解散というのはあまりに個人的な事でとても詳しくは説明出来ないんだ。それでも君には随分色々話したし、文字通り僕と君の仲間をめぐる生死の問題だったと思ってもらっていい。僕のキャリアだの音楽業界でどれだけ生き延びられるだのといった事がちょっとでも関係あったなんて考え方は、本当に侮辱的だとしかいいようがないな。でもこの一件を通して僕の学んだ事はかけがえのない事だったからね。つまり、いかにいわゆる”ファン”というものが移り気であるか、評論家達が移り気であるか、等々・・・。僕は状況からやむなく自分のバンドを辞めざるをえないんだって何とか納得しなきゃならなかった。そして4人なり5人なりの奴らと明けても暮れても同じバンドにいる、というその過程自体が人間の成長を阻み、だんだん本来の自分らしさが損なわれていくんだ。自分の身にそういう事が起こるのは絶対にいやだと思ったよ」

ファンというのはどうしても自分のひいきのミュージシャンを神格化し、25歳以上の人間は死んでも当然と思い、自分の好きなタイプの音楽が好きでないやつは即、マヌケと思う。そうした風潮にあなた方は必死で抵抗してきたところがあるでしょう。

「そういう風潮って今も僕ら世代と同じぐらい強いのかなあ?僕はそうとも思わないんだ。今の若い子達は自分の憧れの対象に関してはずっと偏狭じゃなくなってきてると思うよ。少なくともミュージシャンに関していえばね。それより僕が頭に来てるのは、遥か昔に抹殺されたはずの姿勢をまた復活させようとしてるバンドが一杯いるって事なんだ。まあ、昔ながらのジム・モリソン的倫理観なんか16歳以下の子には何の意味も持たないだろうから、それは本当に救われるけど。16歳より下の子達はあんな男尊女卑も甚だしいゴミクズに惑わされるほど馬鹿じゃないよ。ロックン・ロールってのは全く、男が集まって騒がしく夜繰り出すっていう音楽以外の何でもないと思うね。ギタリストだっていうだけの理由で、僕もそういう復古調ロックの一員なんだって、思って欲しく無いなあ。あんなの時代遅れで性差別的で、人種差別的だったらありゃしない。ほんと僕なんか、ビッグ・カントリーのスチュアート・アダムソンやエッジなんかよりニュー・オーダーのギリアンとかPSBのクリス・ロウの方にずっと近いものがあると思うもん。うん、絶対そうだよな」

でもスミスにはロックっぽいサウンドと、もっと悲壮感のあるサウンドとの緊張関係みたいなものが往々にして存在したでしょう。僕はロック的なものの源はあなたで、悲壮な方はモリシーだと思っていたんですが。”クイーン・イズ・デッド”のロックっぽさはあなたから来ていたんじゃないんですか。

「そうだよ、あのタイトル曲で始めから終りまで鳴ってるフィードバック・サウンドとか。あの緊張感は効果的だった。完成して聞いてみた時には僕らほんとに首の後ろが総毛だったもんな。でもスミスをやって、モリシーと一緒に仕事した事で一番誇りに思ってるのはまさにそこなんだよ、つまり国営の安アパートから出てきたロックがああいう音だったってこと。テキサスとかあの手のメンフィス・ロックなんかじゃなくね。それから歌詞、歌詞はもう素晴らしかった。全部好きだったよ、言ってる内容も。今僕がやってる事の中にもそうした色んな要素が入ってるといいなと思っているけど。とにかく自分が一介のギタリストであり、ちゃんと分別をわきまえてこの1989年という時代を生き、そしてああいう先輩達の悪い例に習わないようにすること、それだけなんだ、僕の望みは」

あなたがどんなミュージシャンと一緒に仕事しても、人は必ず嫌な顔をすると思います?

「絶対そうだね、それはもう殆どタブーに近いものがあるよ、他のニュージシャンと仕事するってのは。だけど僕がやりたいのはそれなんだ。今日的なミュージシャン達の方が共感出来るんだよなあ。”いわゆるギター・グレイツ”の長い長い列に名前を連ねる気持ちは無いんだ、僕は。あともう一つ皆が頭に来てたのは、僕が80年代の最も完全なポップ・グループに背を向けたって事実だったんだ。だのにマットやバーナードはこっちを向いて、僕がやった事を許してくれた。そのことがまた認め難かったんだよね、みんな。みんな僕が死ねばいいと思ってたんだ。僕にロックン・ロール墓場で死んで欲しいと思ってたんだよ」

そのプレッシャーはどのくらい強かったですか。

「ロックンロール的に、ってやつ?そりゃ凄かったよ。僕にも特別なキャラクターになれっていうプレッシャーがあったんだ。ほら、モリシーはメディアの中でああだったろ、だから僕には対照的に、って感じがあったんだよね。別に同情してもらおうと思ってこんな事いってるわけじゃないんだけど、そこには確かに落とし穴があったんだ。僕は随分落ち込んで、鬱々としてて、でどうしたかというとほんの少しでも希望の光が見えたり気分が良かったりした時だけインタヴューを受けて回ったわけ。だって本当に暗い時にインタヴューなんかしたくないからさ。それでどうも予想もしなかったな事になって、僕はいつでもロックンロール野郎みたいに描かれることになっちゃったんだ」

でも一時期は意識してキース・リチャーズっぽく振舞っていたんじゃないですか。まるで皆にキースと比べてくれ、って言わんばかりに。

「確かにあれは僕が馬鹿だったね・・・。今も言ったけど、そんなこんなで色んな事が起こって、外っ面と自分の本当の姿とがゴチャゴチャになってしまっていたんだ。今はどこが違うかって言えば、もう架空のキャラクターみたいな行動はしない。そんな風にならなくちゃいけないってプレッシャーも無いしね。今だって話の内容によっちゃ、やかましくて言いたい放題言う奴かも知れないけど、何でもかんでも分かってますなんて格好をするのは完全にペケだよ。変なもんだね。もしまたそんな風になることがあったら、もうお手上げだ。ほんとに滅入るよ・・・だけど、この身でそういう状態を通り抜けてきたわけだからね。今の僕は何が現実なのか見えているし、噂は噂である限り何を言われても構わない。だってそんなの僕の本当の人生とは物凄くかけ離れた所の話なんだから。まあ、人間少しずつ学んでいくものらしいね」

もしこういう事をやっていなかったら自分は何をしてたと思います?

「僕はニュージシャンになるんだ、って思って疑った事が無かったからなあ。今だって普通に暮らしてお金を貰ってるだけだよ。昔っからそれは全然変わらないんだ。もし夢が叶ってなかったら、僕は南マンチェスターで一番タチの悪いなりそこないになってたろうね」

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