ROCKIN'ON/1989/MAY   Text By John Perry/Orion Press

お揃いのホワイト・ジーンズが眩しいです。

まず、この2年間のあなたの活動について聞きたいのですが、どうもマスコミを追っているだけではハッキリしない部分が多いですね。

JM:そうかもね。ディスコ・グラフィー的に一緒に働いてきた人たちの名前を挙げていくと、ブライアン・フェリー、トーキング・ヘッズ、クリッシー・ハインドとプリテンダーズ、カースティ・マッコール、ニュー・オーダーのバーニー、そしてマット・ジョンソンのザ・ザという感じになるんだけど。

で、今のところはザ・ザがあなたのメイン・テーマになってるわけですね。

JM:うん。今はザ・ザの為に目一杯、自分を捧げてるつもりなんだ。

そういう風に自分をバンドに捧げる、という姿勢をとるあなたにとって、スミス脱退というのは相当につらいものがあったんじゃないですか。

JM:もう、ある限界に達してしまって、その時はもう・・・・・・(しばらく沈黙)。とにかくあの時点で解散できて本当によかったと思うよ。少なくとも最低限の尊厳は持ちながら解散できたと思うんだ。全てを公衆の面前にぶちまけて、なんていう形にならなくて本当によかったと思うよ。

あなたとしては大体いつ頃、ふっ切れた気持ちになれたと思いますか?

JM:それよりも自分がかなり重症の鬱に陥ってしまった事の方を強烈に思い出してしまうんだ。罪悪感のようなものにがんじがらめになっちゃってね・・・・それに、あの集団ヒステリー状態の中で僕の存在が、とんでもない大それたもののように扱われていたし。それまで僕なんか、その他大勢の一人にしか過ぎなかったのにね。

解散した当時、あなたは金と名声目当てにスミスを潰したと、随分批難されましたよね。

JM:うん。でも僕はバンドを辞めた時、その先どうするかなんて事は何一つ、考えてなかったんだよ。これは本当なんだ。だから、もしかしたら、どっかの木の下でギターを弾いてるまま、一生が終わってしまうかも知れないとも思ったんだ。でも、あの当時、スミスで自分がやってる事を考えたら、それでもよっぽどましだと感じたんだよ。自分のキャリアをどうするかとか、そんなことよりも、もっともっと深い問題だったんだ。ただ、一部の三文ジャーナリストが否が応でもああいう穿った見方をするもんなんだというのがよくわかるけどね。バンドを去るということに関しては、正直言って自分でもあまり気が進まないものだったよ。だけど絶対に必要なことだったんだ。友情と、そして生死という事に、深く関わる問題だったんだ。本当だよ。だから決して軽々しく出来るようなことじゃなかった。僕にしてみりゃ、全く打ちのめされてしまったような気分だったけど・・・・まぁ、そう言ってみても信じてくれない人もいるみたいだね。

あのブライアン・フェリーのレコーディングに参加したという事実が、随分とそういう議論に火をつけたところもあったと思うんですが。

JM:あれはね、本当にタイミングが災いしてしまったんだよね。ブライアンが実際にコンタクトを取ってきたのは解散の一年前だったんだよ。スミス風のサウンドと歌詞を自分の作品にもつけてくれないかって頼まれたんだ。僕は勿論、凄く嬉しかったし、他のスミスの面々も皆、賛成してくれたんだよ。なんせ、誰もがロキシーの影響は受けていたからね。そんなわけだから、ブライアンとの事はスミスがまだうまく運んでいる時に進行してた事なんだ。ところが、ブライアンは作品を制作するのにひどく時間をかける人だからさ、実際にレコードがリリースされたのはスミスの解散の直後、という具合になってしまったんだ。

それで金に釣られたと誤解した人も多かったんでしょうね。

JM:うん、本当にそういう意見は腹立たしかったな。だから、ブライアンとテレビ番組で演奏をするという話になった時は、もう完全に開き直ってたよ。別にね、新しいロキシーをやるとかそういう意識は全然無かったんだ。それに、デヴィッド・サンボーンとかアンディ・ニューマークなんていう人達とは昔から一度は一緒に演奏してみたいと思ってたんだ。でも、考えてみると、そのメンツでニューヨークでギグをやる機会もあったし、”サタデー・ナイト・ライブ”にも出演出来たし、本当に自分はいい機会に恵まれてたとも思うんだ。それにあの時期をああいう風に切り抜けてきたことに対しては、自分でもそれなりに自負を感じているんだよ。とにかく、あれだけ複雑なものを抱えてたわけだから、あの時点ではまた別のバンドを組むなんてこと少しも考えなかったよ。バンドをちゃんとした形でやるにはさ、何かこう、強迫観念に近いものに取り憑かれないとだめなんだ。それを抜きにしてバンドを組むというのは前提からして間違ってることなんだよ。それだけに、スタジオに入って、しかも自分で書いたわけでもない曲をただ演奏するっていうのは、当時の僕にしてみれば全く素晴らしい体験だったんだ。スミスの作品について何かとああだ、こうだと騒ぎ立てられていただけにね、ひとりのギタリストに徹することで凄く落ち着いたんだ。

大体、バンドの内情をろくに知りもしない人間達が、いいバンドを気紛れに潰しやがって、などとあなたを批判する資格はありませんよね。

JM:その通りだよ。そもそもスミスがバンドとして秀れていたわけは、ひとえに僕たちがさっき話した、強迫観念のようなものに皆が取り憑かれていたからなんだ。もう完全に取り憑かれていた・・・・・けれども5-6年経っていくうちに、その強迫観念は肉体的にも、そして精神的にも不健全なものへと変質してしまったんだ。そういう状況に出くわした時にはね、二つに一つを選ぶしかないんだ。そのままバンドを続けて、何回かツアーをやって、世にも醜悪な解散劇を披露して、そして最終的には気がふれるか、それとも自分の正気を大事にするかどっちかなんだよ。

それで解散の直後はどうしてたんですか?

JM:そうだなぁ、スティーブ・リリーホワイトから電話があってパリでトーキング・ヘッズの仕事をしないかと誘われて、それに参加しただけだよ。あの解散があまりにも辛酸を舐めるような体験だったから、僕も、もうそれくらいしかやる気がしなかったんだ。大体、あの頃はもうこの先、自分にメジャーなレコードを作る気があるのかどうかさえ、わからなかったよ。

ただ、外から見てる人達には、あなた自身がどれほど切迫したものを内に抱えてるのかわからない場合が多いんですよね。あなたの音楽から緊張感を強く感じたとしても、それが何を犠牲にして成立しているものなのか、という事にまでは気が回らない、という感じで。

JM:そうだね。当時はかなり根の深い自信喪失症っていう感じになっていて、本当、苦しかったよ。それだけに、クリッシー・ハインドがいろいろな面で僕を助けてくれたのは、有り難かったね。クリッシーのマネージャーから電話が入ってさ、”アメリカで幾つかギグの約束をしているんだけど、ロビー・マッキントッシュが辞めちゃったもんだから、ちょっと手を貸してくれない?”って感じで誘って貰ったんだけど。実際に僕が参加したのは映画用のシングルで、しかもバート・バカラックのものだけだったんだけど、別にクリッシーの仕事なら何でもいいっていう気分だったな。彼女はさ、リズム・ギタリストとして最高だね。一緒に演奏してて本当、心強いんだ。僕の経験じゃ、一緒に演奏しててあれ程、支えになる人はいないよ。特にライブなんかじゃ、ノリのツボをピシャリと押さえてるからね。それに歌がうまいなんてもう言うまでもない事だし。確か、ボブ・ディランも似たような事をどこかで言ってたんじゃないかなぁ。スタジオでの仕事の仕方は凄くライブに近いものがあってね。とにかさ、ジーン・ヴィンセントを初めとする偉大なるアメリカン・アーティストの流れの直系だよ、彼女は。そんなわけで、自分は人との出会いという事に関しては、凄く恵まれてると感じるわけなんだ。今のところ最高峰の作詞家とも言えるモリッシーと仕事をしたり、クリッシーという優れた歌手と働くチャンスを与えられたわけだからさ。とにかく、基本的にギタリストの仕事というのは、シンガーを後ろから支えることだと思うんだ。それが出来てないとピンボケなものしか生まれないものなんだよ。

そういった仕事の誘いはかなり多かったんですか?

JM:どうもスミスの作品の中では”ハウ・スーン・イズ・ナウ”が一番よく知られてるみたいだから、僕もボー・ディドリー的な色合いの強いギタリストとして知られてるようなんだな。トーキング・ヘッズとやった”ルビー・ディア”も基本的にはあの曲と同じビートなんだよね。で、映画の”カラーズ”のサントラの仕事を依頼された時もね、似たような感じでやってくれ、と言われてさ。映画の話は結構、断ってきたんだけど、これだけは面白そうだったから引き受けることにしたんだ。あの映画の出だしにショーン・ペンとロバート・デュバルが車でロスのスペイン人街に乗り込んで来るシーンがあるんだ。それをニューヨークのスタジオにある巨大なスクリーンで観ながらドラマーのチャーリー・ドレイトンと音をつけていったんだ。例のボー・ディドリーっぽいヴィブラートでね。そしたら録音スタジオに監督のデニス・ホッパーが入って来て、僕の顔を覗き込むんだよ。しかも、七分間そのままで動かないんだ。だからもう、上がっちゃって、大失敗するか、うまくいくかどっちかだろうと思ったんだ。幸い、うまくいってくれたけどね。

カースティ・マッコールとも仕事をしていますよね。

JM:うん、彼女はスミスの作品でも、何曲かヴォーカルとして参加してて、簡単に言っちゃうと友達の一人なんだよ。彼女とも解散の前から一緒に作業を進めててね。キンクスの”デイズ”なんかをやってるうちにどんどん曲数が増えてアルバムへと至ったんだ。近いうちにリリースされると思うんだけど、中にはデイヴ・ギルモア、ロビー・マッキントッシュと僕の三人でギターを弾いてるものもあって、これがまた、なかなかいいんだよ。で、ちょうどその時、自分のスタジオを作り始めたんだ。何か、自分のスタジオ、なんて言うとえらく仰々しく聞こえるんだけど、でも僕にしてみれば人のスタジオを使って高い値段をふっかけられるよりは、よっぽどましなんじゃないかと思うんだ。その辺に関しては、苦々しく感じることもあってね、とにかく僕は二度と人に借りを作りたくないんだよ・・・・・前金とか使用条件とかそんな事でさ。だから、自分の好きな時間に自分の仕事が出来る場所を作るのは非常に理にかなった事じゃないかと思うんだ。勿論、そう思い切ってイキナリ、スタジオを実際に作れちゃう自分の境遇というのもかなり恵まれてるな、と思うよ。とにかく、僕の友達というのは、ほとんどがミュージシャンだから、すごく都合がいいんだ。ま、”マンチェスターに新しいスタジオがオープン!”なんてものにするつもりは少しも無いけどね。

そこでザ・ザの新作も用意してるわけですか?

JM:そういうわけさ。実をいうと、マット・ジョンソンとはモリッシーと初めて知り合う前からの顔見知りなんだ。マットがマンチェスターに来た時なんかも、あちこち僕が連れ歩いたりなんかしてさ。スミスがラフ・トレードと契約した時も、泊まるところが無かったもんだからマットのところにお邪魔したりしてたんだ。

そうだったんですか。一体どういうつながりなんだろう、と思っていたんですよね。ザ・ザでの活動には満足していますか。

JM:うん。とくかくギタリストに徹する事が出来て本当に嬉しいんだ。それにマットの曲を演奏してると、今まで引き出せなかった自分も凄く出せるし、気分もね、凄くいいんだ。

ところで、モリッシーには会ってるんですか?

JM:ううん。僕が辞めた日以来、顔を合わせてないね。

ふーむ、やっぱり・・・・。

JM:とにかく、今から振り返ってみると、スミスはロンドンに移った時点で終わったと思うんだ。あの頃、マイクとアンディはウィルズデンに家を借りてて、僕と女房はアールズコートという所に部屋を借りてた。皆、そんな風に間借り人として生活する中で、アルバムを終わらせると今度はシングルを作って、という感じで、常に”待機中”っていう状態だったんだ。次のツアーに備えて待機中、次の録音に備えて待機中、次の空部屋に備えて待機中・・・・・・・結局ね、こういう生活がいけなかったんだ。というのは、スミスの本質っていうのは、マンチェスターという地方に深く根ざしたバンドだったからなんだ。それが田舎臭さを醸し出したこともあったかも知れないけど、でも、それがスミスの強さだったんだ。それなのに、皆でそれを忘れて、レコード会社の近所に引っ越しちゃったんだよね。結局は、皆が25%ずつ責任を負うべき問題だったんだ。僕がバンドを後にした時、それは他の皆のためでもあった、という事は誰も思いつきさえしなかっただろうよ。でも、解散したおかげでメンバー全員の肩の荷が降りた、というのは確かなんだ。モリッシーにしたって、ソロになってから、俄然、歌詞が良くなったと思うんだ。本当はね心から皆に頑張ってくれと言いたいんだ・・・・・仲間のわけだからね、今だって好きな連中なんだ。わかるだろう?

成功に溺れて、アーティストとしてダメになった人々は多いですからね。

JM:うん。確かにロックンロールは最高だけど、それで自分の身を滅ぼしてちゃあ、おしまいなんだ。僕はね、自分の原点というか、そういうものがはっきりしてるから本当に幸運だったと思う。ロック界を支えてる、無国籍な流浪の民のような連中みたいにならなくて済んだ事は、本当に良かったと思うんだよ。それに時々、アートというもの自体が終わり始めてるような気分になるんだ。あらゆるアートの分野でオリジナリティというものが枯れてきちゃったんじゃないかと思う。今じゃ、バカ面ぶら下げてレコード・ジャケットで裸になれば誰でもポップ・スターになれる時代だから、もう誰もポップ・スターなんかになりたいとも思わないんだよ。大体、ギタリストがギター一本だけで演奏してるわけじゃなくて、テープを重ねたり色んな機材を使ってるなんて、リスナーにとっても半ば常識になってしまったんじゃない?でも、その分、ギタリストがかつて漂わせていた神秘性も失われてしまったのも事実なんだ。だから、僕たちは言わば、廃墟に残されたようなものなんだ。一体、ここで誰に何が出来るっていうんだ------と、問わざるを得なくなるんだ。そこで感じるのは、もし、ロックがこのまま思春期を体系化することに始終するのなら、最終的に大衆演芸の域を越えることは無いだろうということなんだよね。そして、金と名声をある程度手にした後で我に返ったように気づくものなんだ-------結局、自分にとって大切なものは音楽だけだったんだ、と。チヤホヤされて、色目を使われて、そんな経験をくぐってやっと自分を大切にする術を身に付けると、ふと、自分が初心に戻ってるのがわかるんだよ。音楽以外のことはどうでもよくなってるんだ。

では、自分ではアイデンティティーをしっかり確立することが出来たと感じてます?

JM:うん、それに凄く幸福な気分だよ。レスポールがこんなことを言ってるんだよ。自分の母親がラジオで自分だと聞き分けられるような演奏ができるようになれば、もうギタリストとして立派に合格だと。僕も、それでいいんじゃないかと思うよ。

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