ROCKIN'ON 1987/MAY

Text By Danny Kelly (NME)

過去の12ヶ月はスミスにとって実際にかなりしんどい1年であったようだ。EMIとの見合結婚を目前に控えて穏やかに満ち足りた今の状態に達するまでに、彼らは永遠に尽きぬかと思われるほどの議論と批判と過労と暴力沙汰とをくぐり抜けて来ねばならなかった。ジョニー・マーの場合、ここ2ヶ月程の時の経過によって、またバンドのラインアップが確かなものになった事によって、こうした多くの問題とも折り合いがついたようである。自分に訪れた変化は、プレスリー風の新しい髪型以上のものだと、彼自身認めている。「僕らはみんな、あまりにバンドに入れ込み過ぎてたんだ。僕なんか起きてる時間は1分1秒までスミスの一員として行動してたけど、そんな事が良かったわけは無い」「だけどそう簡単に変われやしないしな。僕の私生活はバンドと切っても切れないくらい結びついてるんだから。親友といえばモリシーだし。僕はつとめてカミサンのアンジーと過ごす時間を長くしようとしているんだけど、彼女がこれまたバンドにどっぷり関わってる。でも、どうしたって変えないわけにはいかなかったんだ。僕の場合、自分を救うか否かの問題だったんだから・・・」

初めて物事が手に余る状態になり、変化(ラフ・トレードとの別離も含めて)がどうしても必要だという苦々しい認識が彼らを襲ったのは、去年の輝かしい全米ツアーの真っ最中であった。アメリカでのうなぎ昇りの人気がチャートに少しも反映されていない事を知った時、欲求不満は募り始めた。例えばLAでは、前の週にa-haが埋められなかった8,000人の会場で、彼らは幾夜も売り切れを出した。だがアメリカでナンバー・ワン・ヒットとトップ20アルバムを持っているのは、a-haの方なのだった・・・。MTVが登場しても、士気は少しも高揚しなかった。このイギリスから来たバンドが、それらしいレコード会社との契約も無く巨大な会場を次々と売り尽くしていくさまに度肝を抜かれた彼らは、スミスの行く先々を見事な早業で追い続けるリポート・チームを派遣した。スミスは、彼らに何時間も遅れて到着するのが常であった。それも、バンドの小型トラックで・・・。「そのあとも」とジョニーは目玉をぎょろつかせて言う。「事態は益々悪くなっていくばかりだった。組織に関する事で言えば、あまりに大勢の人間が僕らをあっちへ押し、こっちへ引き、って状態でさ。信じ難い勢いでプレッシャーが高まっていったよ。それに耐えて、何とか自分を一万人、一万五千人って人間の前に押し出して”ビッグ”なふりをする為には方法は一つしかなかった。へべれけに酔っ払っちまうことさ。気が付いたら毎晩一本、レミ・マルタンが空いてたよ。それが25日間続いたら、ちょっとね・・・」「”いささか疲れ気味”なんて程度のものじゃなかった。僕は完全に病気になってたんだ。実際にツアーが終わる頃にはちょっともう・・・危なかったね。自分でどうしようも出来ないくらい飲んでた」「その頃だよ、ほんとに頭にきはじめたのは。レーベルだとか、プレスだとか、そうした全てに対してね。身体に悪い所までいったら、そりゃちょっとやり過ぎなんだよ・・・」そんな時、いつも指先でちょいちょいと問題を解決し、人々の注目の的になる事にも慣れているモリシーはどう対処したのだろう?「彼が本当に対処しきれてるのかどうかは、僕にもわからないけどね。いずれにしたって彼の方がもっともっと大変には違いないんだ。結局のところ僕には愛する人間が見つかって、その人の前では本当に自分らしい自分でいられて、世間なんか閉めだしてしまえるんだから。でもモリシーはね・・・」

かくしてスミスは、もはやこれ以上”いつか訪れるその日”を先延ばしにする事は出来ないと確信してイギリスへ戻ったのだった。番号を振ったスイス銀行口座についてメジャー・レーベルと話すべき時が来たのだ。「ありとあらゆるレーベルが接近してきたよ。内緒話だの、袖の下だの、見事なもんだった。いや、実に面白かったぜ。EMIに加わる事を決めたのは、よくよく考えた上での結論さ。勧誘にはすべて逐一耳を傾けたよ、でも僕は初めからEMIだという気がしていたけど。イギリスのミュージック・シーンの中でも彼らは権威があるし、それはまさにスミスと共通しているからね」ジョニー・マーは当時も今も、EMIとの”婚約”を喜んでいる。だが彼の熱心な崇拝者の中には、スミスの次のシングルに南アフリカのSPGがバック・ヴォーカルで参加すると聞かされたかのようなショックを受けた連中もいるのだ。「熱狂的な奴らは昔も今も、僕らがラフ・トレードを離れるのを純粋に許せないみたいだ。彼らなら、レーベルよりレコードの内容の方を重視してくれると思ってたのにな・・・」「勿論モリシーや僕だって、わざわざ自分たちが悪者呼ばわりされるような、金に目の無い嘘つきみたいに言われるような立場を選ぼうとは思わないからね、よほど理由でもないかぎり・・・」つまり例えば、EMIが提示したと言われる巨額の金とか?「金額については皆が勝手に推測してるだけだよ。それに実際にはモリシーも僕も、未だに硬貨の一枚の顔も見てないぜ。だけどその事で自己弁護しようなんて気はさらさら無いね。どうしてそんな必要ある?当然、金だって契約理由の一つさ・・・」EMIという呪文が確かにスミスにとって不吉な出来事を次々と引き起こして来たのだとすれば”パニック”のリリースはまさに洪水の前兆であった。さすがのモリシーも、”ディスコなんか燃やしてしまえ””あのめでたいDJを吊るせ”といった歌詞が誘発した怒りの衝撃波にはびっくりしたに違いない。あちらこちらで、あの歌は黒人音楽に対する攻撃、ひいては(無意識だとしても)黒人そのものに対する攻撃を意味しているものと受けとめられた。だがそれすらも、某音楽週刊誌がモリシーとザ・スミスを”人種差別主義者”と書き立てたのに比べれば甘っちょろいものだった。憤怒は今もジョニー・マーの胸中を去らないようだ。「ああいう事が持ち上がって良かったさ。大切な事だからね。”ディスコなんか燃やしてしまえ”って一行に文句を付けた連中には、こう言ってやろうじゃないか。ニュー・オーダーのどこに黒人のメンバーがいるんだよ!僕個人の意見で言えばニュー・オーダーは偉大なディスコ・ミュージックを作ってるが、黒人のメンバーはどこにもいやしない。とにかく言いたいのは、”黒人”と”ディスコ”をただ置き換えることなんて出来やしないって事さ。”黒人音楽”と”ディスコ・ミュージック”もそう。そんなの、全く意味をなさないぜ」皮肉にもイギリス中で最も性差別主義的な音楽誌に”人種差別主義者”と書かれた事自体については、バンドはどう思ったのだろう?「答えてもいいけど」と彼は断固たる口調で言った。「条件があるんだ。僕がでまかせを喋ってるんじゃない、言うまでにじっくり考えてるんだって、ちゃんと書いてよね」「さて、それでは言うけど・・あの記事を書いた奴に今度会ったらただじゃ済まさねえ・・・個人的な脅しをふれて回るのは僕らの趣味じゃないけれど、あれはあんまりに中傷が過ぎたからな、あいついつかやっつけてやろうと思ってるんだ。暴力は良くないが人種差別はそれ以上に悪い。僕らはそんなものをネタにしやしない」「”パニック”は丁度チェルノブイリの頃に出来たんだ。モリシーと僕が”ニュースビート”ってラジオ番組で事故の報道をきいててね。あの衝撃的な災害の報告が終わるとすぐさま、ワム!の”アイム・ユア・マン”がかかった。確かに自分で言ったのを覚えてるよ、”一体これがどうして人間の生命と関係あるわけ?”ってね。チェルノブイリの話を聞いてすぐ、次は”アイム・ユア・マン”が流れてくるのがまるで当然みたいだった」「”それであのめでたいDJを吊るせ”って言ってるんだ。すごくいい歌詞だったと思うよ、イギリスに住んでる人間になら誰にとっても意味深いし、他人事じゃないと思うんだ。なんたって、ディスコ狂いの連中だってああいう目には遭いたくないだろうからね」

秋が冬へと移り変わる頃、モリシーとジョニー・マーはサルフォード・ラッズ・クラブにすっかり居心地良く腰をすえて、EMIのもたらす巨額の富に舌なめずりし、暇つぶしに思いをめぐらしていたものだ・・・過去の2-3ヶ月程のうちに彼らを襲わなかった不幸にはどんなものがあったか?3時間程考えて、彼らはようやく2つ思いついた。”悲惨なライブ評”と”観客の暴動”だ。それからわずか数日のうちに、UKツアーが彼らの見落としを訂正する結果となった。否定的なレビューは、いわば子供が気を引くために悪さをするといった性質のものだった。スミスとその崇拝者との間に存在する密着度の異様な一面を見せたに過ぎなかった。バンドは、第二ギタリスト=クレイグ・ギャノンの加入によって、普段よりもいささか賑やかな音を出していた。それに対し彼らを崇め奉るファン達は大いなる不満を持って反応しただけの事だ。言ってみれば、文化的自警団がはじめて行動を起こしたのだった。彼らはスミスのサウンドをありとあらゆる潜在的な破壊因子から保護しようとするだろう。その中には勿論、本来その音を創り上げた面々も含まれている。そしてジョニー・マーは、(正しいか間違っているかはともかく)バンドの中でもかなりロック志向の強いメンバーと見なされており、ゆえに普通なら近親相姦の疑いをかけられた親が受けるような厳密な詮索を受ける羽目にあったのだ。ツアーの最中に観客が2番目にとった画期的な参加の仕方は、しかし、もっとずっと深刻なものであった。もっともジョニー・マーによれば「事実は報道されたよりはずっとニュース価値の低いものだった」そうだが。「事の起こりはニューポートだった。熱が入りすぎただけなんだけど、モリシーが客席にひきずり下ろされてさ。彼、ガタガタ震えて少し意識がボーッとしてて、頭の片側に卵ぐらいの大きさのこぶが出来てた。勿論それ以上続けるのは無理だった。それが起きたのが全体の四分の三くらいが過ぎた頃で、そうだなあ、あと4曲ぐらい残ってたかなあ。所が翌日のザ・サン曰く、”最初の曲の”半ばでモリシーが”クイーン・イズ・デッド”の旗を掲げるや否や怒り狂った”王室崇拝者達”に襲われた、だってさ!!」「次の日が面倒な事になるのは目に見えてた。観客の中の、要するに頭の足りない奴らが、その朝コーンフレークを食べながら読んだ記事に過激に反応したってわけさ」「僕にはモリシーがどうなっちゃったのかわからなかった。ただモニター担当の奴の姿はちらっと見えたね。そいつは腕の上から下まで血だらけだったよ。ほんとだよ、僕は凄く怖かった。その歌だけ終えて、さっさと退場しちゃったんだ。話は悪趣味な三流新聞が書き立てたことだけど、スミスのギグがそんな風に醜悪なものになりうるって思っただけで、僕は物凄くいやな気持ちになってしまった」それでは荒れ狂う群集を避けてモリシーが隠れ場所を探さねばならなかったニューキャッスルの出来事など、比べれば些細な事件だと?「そうともそうでないとも言えるけど。とにかくこういうのが厭でたまらないんだ。カッコいい少数派が残りの大衆に向かってショウをする、みたいなのがね。決して偉ぶってポップ・スターっぽく言うんじゃなくて、僕らにとっては観客というのはとても大事な存在なんだ。舞台から客席を見ると大勢の人間がいる、その大部分は男で、彼らと来たらほんとに凄い。間違いなくコミュナーズだとかその他の80年代バンドのギグに来るような連中よりずっと面白い奴らだよ。僕ら自分達の観客には、心底感心してるよ」

ツアー終了直前になって、ロック・モンスター化していた5人編成のスミスは再び元の4人組になった。クレイグ・ギャノンは脱退した。そもそもギャノンが唐突に登用された時に、凄まじい勢いで推測が飛び交ったものだ。以前ジョニー・マーはスミスの面々の名前を復唱して、ギャノンを加えたのはアンディ・ルークの”具合が悪かったから”だと説明していた。これは美しい友情だが、必ずしも率直な態度ではない。ベーシストのルークは確かに”具合が悪かった”のだが、それは勿論、悪い風邪のせいではなかった。ルークの健康をめぐるトラブルは、次第に深みにはまりこんでいったヘロインが原因だったのである。「うん」とマーは頷いた。「それは本当だよ・・・」スミスに日頃から反感を持っている人間の多くはこの不幸な一瞬に、待ってましたとばかり飛びつくだろう。モリシーの”これ以上潔癖な人間はいまい”といった姿勢にケチをつける、格好の材料が出来たわけだ。だめな奴ほど勝ち誇りたがるものなのである。それがどんなに小さな勝利であっても、だ。ルークの脱退(結局はわずか2-3週間の事だったが)は、彼が義務を果たせない状態になっていたからだったのだろうか。それともジョニー・マーが、或いはモリシーが、どうにも事態を扱いかねたからなのか?「あの問題はそういう形では一度も持ち上がってこなかった。ただ、僕ら全員あれにはえらく打ちのめされた気持ちになったね。アンディと僕は、二人とも13だか14だかぐらいの時から友達なんだ。彼はとても大事なんだよ。大切に思ってる人間が、自分で自分を苦しめてるのを見るのは凄く辛いよ」それにヘロイン漬けの人間なんて、たとえどんなに親しい人だとしても、スミスの建前には合わないもんね・・・。「それは否定できない、確かにね。でもアンディの肩を持って言えば、彼だってその事は充分に承知していたんだ。実際あいつはそれについても自分を責めていて、ますます問題は複雑になっていったわけ・・・」「アンディも今は良くなったし、なんだかあの一件でむしろ物事が良い方に動き出したんじゃないかって気がするんだ。特に、あの馬鹿馬鹿しい”モリシー、マーとセッション・マン達”っていう人間関係はね。僕ら、彼に本当にいて欲しいんだって思ったし、彼自身も、自分がどんなに大事な人間か気付いたと思うからね・・・」

++++++++++ END ++++++++++

special thanx to Ms.banana co.