The Observer Mar.15, 2009 "The boys looked at Johnny"

translated by MAKIO (原文

これはひとつのブリティッシュ・ポップ会議である。ジョニー・マーがインタビューアーとなり、友だちであり、またかつてのライバルでもあるペット・ショップ・ボーイズに、彼らのインスピレーションやアイドル、果ては大量のペリノーによる危険性などを問う・・・

先月、ニール・テナントとクリス・ロウに、ブリット・アウォード特別功労賞(Outstanding Contribution Award)が贈られた際、キラーズのブランドン・フラワーズはアルバム1枚買うだけのお金を所持していない13歳の時、スミスかPSBか、どちらを購入すべきか迷ったと述べた。功労賞を得る際、PSBはこう紹介された。”ビートと洗練の新世界である”と−−−−23年目にして10枚目、彼らデュオのニュー・アルバムである”Yes”は、そんな楽しさなど超えてしまっていると誓える。

スミスのギタープレイヤー、ジョニー・マーとPSBは、殆どポップシーンの対極に位置しているように見えた。方や攻撃的ギター、方やアイロニックなディスコ・シンセ。しかし、マーがスミスを脱退してからの彼らの賢明な合併は、コンスタントに、そして実り多き共同作業となっていた。彼らの初めての出会いは、1987年LAはモンドリアン・ホテルのエレベーターだった。マーはその時、いかに彼がPSBアルバム”Actually”を気に入っているか語った。その二年後、彼らはマンチェスターのマーの自宅でバーナード・サムナーとともにエレクトロニックに関わっており、同時にマーはPSBのアルバム”Behaviour”で2曲ギターをプレイした。2001年にはダーラムにあるニール・テナントの自宅に赴き、アルバム”Release”ではほぼ全曲に関わっている。最新作”Yes”では5曲に参加し、ニールをして、”この軽やかなアコースティックスタイルと云ったら、全く変幻自在さ。更にモデストマウスも聴いてご覧よ。きみは、”ここにもジョニーが居る”って思うはずさ”と、いわしめた。

2009年3月初め、テナントとクリス・ロウはマーの質問を受けるために、ホームハウスメンバーズクラブに腰を落ち着けた。いつかマーを取り戻すんだ、と彼らは云った。

ジョニー:なにが良くてUKに住んでるの?
ニール・テナント:育った所だしねえ・・・僕は自身をイギリス人だと思うけど、僕をニールと呼ぶのはアイリッシュの母方の親戚で、テナントって呼ぶのはエディンバラから越してきた父方の親戚なんだ。というわけで相当なケルト人と云えるかも。まずUKの歴史が好きなんだ。ユーモアやポップカルチャーのね。世界中のどこを探したって、こんなにポップミュージック好きな大衆を持つ国はあるまいね。みんな、びっくりするくらいポップチャートを気にしているよね。トップ・オブ・ザ・ポップスが見れないというだけでイライラするんだ。フランスやドイツでは考えられないよ。思うにビートルズやローリング・ストーンズのせいで、僕らにはポップミュージックを好むDNAがあるんだよ。ミュージシャンなら尚更、でもアメリカにあってはそんな事思わないだろう?イギリスに住んで悪しき面、と云えば、タブロイドだのメディアだのセレブだのとちょっと息苦しく感じるね。でも、どうしても戻って来ちゃうんだよね。新譜のラストの曲、”Legacy”を聴いてご覧。あれはイギリスの、殊更北部について歌った曲なんだ。僕は1992年にニューカッスルを去り、1997年には何故か北部に家を購入していた。南部訛りになっちゃいそうだと思ったんだよね。

クリス・ロウ:自分たる自分であり続けてると思う?
ニール・テナント:あり続けたいと思ってるけど。訊かれればそう答えるよ。
ジョニー:最も偉大なイギリス人て誰だと思う?
ニール・テナント:20世紀に、我々の考えを根本から変えたというと、アップル・コンピューターをデザインしたジョナサン・アイブだよね。彼はイギリス人だ。ビートルズは世界を変えたし、ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイもそうさ。ビートルズのインパクトたるやおおよそウィンストン・チャーチルの及ぶところではないよ。それ以前に、聖書を訳したれんじゅうなんかはシェイクスピアどころじゃない音楽的言語を創りだした、という点で、我々に音楽的国家を生み出させた、と云えるかも知れないよ。あと、ギルバートとサリバンだね。現代音楽の殆どはギルバートとサリバンから生まれたものと云える。素晴らしい韻とリズムの強調は、まさにこんにちのラップ・ミュージックのモトとも云えるんじゃないかな。

ジョニー:で、(イギリスで最も偉大な)女性は?
ニール・テナント:シャーロット・ブロンテかな。僕は”嵐が丘”なんて読んだことないんだけど・・・・誰が書いたんだっけ?
クリス・ロウ:キミは知らなくていいんだよ。ケイト・ブッシュでも聴いていればいいさ。
ニール・テナント:全くね、エリザベス1世、ビクトリア女王様・・・
クリス・ロウ:エメリン・パンクハーストは?
ニール・テナント:あ〜ハイ、フェミニストね。僕の人生に於いて、文化的に最も重要なイギリス的なものって云うとデヴィッド・ボウイなんだ。そのスタイルの概要全てに影響大だった。デレク・ジャーマンはさほどでもない。彼のやり方は彼には良かったんだろうけど。ピーター・タッチェル(Outrageで知られる同性愛人権活動家)は、僕には古典的英国を代表するものに見える。彼はつむじまがりの完全論理派で、ヘテロフォビックの民間団体を訴えたけど僕には彼の考えが解るんだ。彼は理想主義者且つ実験的なんだよ。

クリス・ロウ:彼は充分勇敢だ。心底感心する。
ニール・テナント:うむ、勇気があるよね。アウトレイジやストーンウォールは重要だよ。僕はイアン・マッケランとデレク・ジャーマンを同時期に知ったけどデレク・ジャーマンはいつも”イアンは最悪だ”って云ってたんだ。どうして?って訊ねたら、”あれは完全に宣伝目的”だって。この頃は真に偉大な人物を見つけるのが困難だよ。時が経たないと解らない。
クリス・ロウ:ダスティ・スプリングフィールドは?
ニール・テナント:ダスティ・スプリングフィールド!全くその通り!ボウイを除けば、僕が影響を受けたシンガーは全て女性だったんだ。その最たるもの3人が、ニーナ・シモン、ビリー・ホリデイ、ダスティ・スプリングフィールドだろう。ダスティ・・・あの吐息っぽいのが大好き。ダスティのレコードはいつもダブルトラックなのがいいよね。僕自身もダブルトラックが好きだ(ダブルトラックは同一人物が二本のボーカルラインを重ねる録音方法)。彼女からは今まで知らなかったような事を学んだ。どうアレンジするか、どうメロディをバース毎、コーラス毎に変化させるか、どうクライマックスを与えるか。新譜の中の曲、"Pandemonium”の最後は、”やったよダスティ・スプリングフィールド!”という感じになっている。最後のコーラスでメロディを変えたとき、”わあ!初めて僕はダスティになろうとしている!”って思ったものだよ。
クリス・ロウ:僕は街でみんなが着ているものや、クラブで掛かってる音楽なんかに影響されたな。
ニール・テナント:そうそう、キミの主な影響は街だよね。僕はほぼ本からかなあ・・・TVになにがある?ラヂオになにがある?ノエル・カワードから、なんて云うと思う?個人的には、ノエル・カワードから影響なんてされるはずないよ。僕は現実的なドラマが好きなんだ。お気に入りは、ジョセフ・ロージーの”召使”さ。モリシーのような、イギリスの労働者階級文化の伝説の方が魅力的だって知っているからね。また彼とは異なるけど、イギリスの中流階級文化の伝説もとても魅力的だとも知っている。それらは全て反体制についてさ。やり遂げるかやらないか、反抗するか受け入れるかっていうね。いくつかの理由があってカラー映画よりも白黒映画の方が好きなんだ。

ジョニー:1990年ドジャースタジアムでのエレクトロニックの最初のショウを覚えてる?
ニール・テナント:クリスと僕が”The Patience of a Saint”と”Getting Away With It”を共作した後の事だね。君たちがデペッシュ・モードのサポートで2日間ドジャースタジアムで演奏するというので呼ばれたんだ。60000人収容という広大なステージだったね。覚えているのは、僕とクリスが高価なデザイナーズ・スーツをそれぞれの日別に仕立てたっていう事かな。キミたちとはかなり違っていたね。僕たちはメイクアップアーティストが付いているポップスターで、キミとバーナードは着の身着のまま。2夜目、ウィニバゴのバックステージで、バーナードはベッドに横たわりお腹あたりに”開演まで起こすな”って書いたサインを置いてたね。おのれをペリノーで鼓舞しなければならなかったし・・・側にはバケツも用意してあったっけ。

ジョニー:80年代と90年代、どっちがベスト?
ニール・テナント:きっぱり、80年代と云わせてもらうよ。まさにポップ期、アダム・アントやヒューマン・リーグからストック,エイトキン&ウォーターマンまで。だからこそ、今僕らはここに居るのさ。それからプラネット・ロック、レイヴ、ア・ガイ・コールド・ジェラルド(ex.808ステイト)に繋がる。90年代はマッシヴ・アタックへと続いて・・・それから??何??マンチェスターのビッグ・イヤーは1989年で、そこで80年代は終わりだね。
クリス・ロウ:でも90年代は87年に始まっていたっていう議論は?
ニール・テナント:長い議論をしなきゃならないね。80年代っていうのは、急速な変化とメイン・ストリームたりえるかの実験的時代だったんだ。パンクのため、でもあったけど。皆、ポップスターになろうとして通る道さ。90年代、スパイスガールズはいくつかのいい曲を作ったけど、2 Become 1(スパイスガールズのシングル曲)に実験的な要素は何も無かった。ところが80年代のアント・ミュージックを聴くと、なんて奇っ怪なレコードなんだといつも思うわけだよ。プリンス・チャーミングを聴いてみてよ。これのどこに音楽的なものがあるって云うんだい。ペット・ショップ・ボーイズについて云うと、80年代と90年代ではだいぶん違っている。80年代、我々はツアーをしなかったからね。90年代に入り、僕たちは”Go West”が大ヒットして、2回のワールドツアーをおこない、アルバムバンドになったんだ。

ジョニー:好きな場所は?
ニール・テナント:ダーラムに家があるんだけど、近くに広大な湿地帯があってね。僕はちょっと閉所恐怖症気味なんで広いスペースが必要なんだ。去年免許を取得し、この湿地帯を四駆で走ったら殆ど飛んでるみたいだったよ。なにせ空しか見えないんで、まるで宙を昇って行くようだったな。

ジョニー:クリス、これってポップアートなの?
クリス・ロウ:お〜い、頼むよ・・・
ニール・テナント:夕べの電話ってアンディ・ウォーホルのフラワープリントを買いたいってこと?
クリス・ロウ:それはポップアートでしょ。僕らの目指すのは高級なアートで・・・ポップてのはいくらでも低級に成りうるし、殊更に・・・
ニール・テナント:僕はポップがアートかどうかなんて気にすることは無いと思うけど。いっとう最初にキミが出した答えこそが全てで、ポップがアートとかそうじゃないとか、決めても仕様がないだろう。
クリス・ロウ:僕の溜息とうめきを言葉で表現してくれてありがと・・・
ニール・テナント:僕は本当、キミのことを解釈するのに長けてると思うよ。僕はアートっていうのは、そのアーティストがなんたるか、だと思う。ポップスターがアートかどうか気に病み出したら、ストーンズの”サタニック・マジェスティーズ”で終わっちゃうよ。ま、そういうアートは大好きだけども。

ジョニー:最も忌み嫌う音は?
クリス・ロウ:飛行機が低く頭上を飛ぶ音。とは云ってもイビザ上空を飛ぶやつは高揚感があっていい。でも自分の上空を飛ばれるのは厭でしょう。何にでも云えるけど・・・上手なバイオリンならばいつでも歓迎だけど下手なのは不快だ。時々、酷い音ほど偉大だとも云われるね。ここに一言あるシンガーが居るじゃない。僕は彼の一言が我慢できないんだよね。誰とは云わないけど・・・全く悩ましいよ。

ジョニー:今まで行ったことのあるベストなナイトクラブは?
クリス・ロウ:一番エキサイティングだったのはニューヨークのファンハウスだな。ジェリービーン・ベニテズがDJしてた。観客は全て若いラテン系で、カッコイイ服を着て、最高に盛り上がってたな。音楽も大興奮、斬新で、あんなの今まで聴いたことないよ。マドンナはジェリービーンと消えて行ったよ。通りに出ればみんなノリノリでブレイクダンスしてるし、音楽は全て新しかった。今はもうクラブに行くことはあまりないんだけど、ベルリンやドイツの行きつけのクラブは閉鎖しちゃった。真面目に音楽に取り組んでいたのに・・・・ニューヨークも、死んだも同然だ。ロンドンにしたって、憂鬱なことにベニューは全部閉鎖された。アストリアだってそうさ。ここで幾夜もいい時を過ごしたものだよ。ハマースミス・パレスも無くなり、カムデンのエレクトリック・ボールルームも・・・残った所なんて無いよ。ロンドンに行く理由さえ無くなったも同然だ。均質化され、全てのマーケットが無くなったのさ。それらをさほど重要視しなかったとも思えるな・・・閉鎖によって誰も困ったりしない。僕にはクロスレイルよりアストリアの方が重要なんだけど。

ジョニー:一日入れるとしたらどのバンド?
クリス・ロウ:マイアミのサタデー・ナイト・フィーバー時のビージーズかな。ブルー・ウィーバーという僕たちと働いていたやつは、”Tragedy”でパイロを爆発させたやつなんだ。それもいいよね。
ニール・テナント:デヴィッド・ボウイでしょやっぱり。僕たち、もう成し遂げたけどね。
クリス・ロウ:キミなら4人目のシュープリームスになれるって。

(updated May.05/2009)


HOME     ARTICLES