GUITAR MAGAZINE 90 APRIL

なんて素敵なトレーナー・・・

interviewer : Brian Jacobs

マット・ジョンソンとはいつ頃知り合ったのですか?

マンチェスターにいる僕の友人を通して82年に知り合ったんだ。初めて会った時からある種のマジックが感じられた。それからなんとなく連絡を取り合い、彼のキャリアを熱心に追い続けた。それに本当に中身のある詞が書けるのはモリッシーの他には彼しかいないと思ってた。僕が本当に認めている作詞家はモリッシーの他にはマットしかいない。でも、マンチェスター出身のハッピー・マンデイズの*1)シーン・ライダーもいい。彼もいい作詞家だ。

ザ・ザ加入のいきさつを話してもらえますか?

うん。僕はスミスをやめる前、ジュリアン・コープに会いに行った。今のザ・ザのベーシスト、*2)ジェイムズ・アレンに会うためにね。そして、彼のプレイを聴いた途端、彼こそ新しくグループを組むべき人だと思ったんだ。その6ヶ月前、僕はドラマーのデヴィッド・パーマーにLAで会っていた。彼は自分を取り巻く状況に満足していなくて、それじゃふたりで新しいグループを作ってお互いにこの状況から抜け出そう、と話し合ったんだ。そんなわけで、僕はジェイムズ、デヴィッドとバンドを作ろうとしていた。一方、全く偶然にマットも僕たち3人を使おうとしていたんだ。そこで、僕たちはマットのバックを務めることになった。僕の求める通りのグループが出来、シンガーが必要だと思っていた所へマットから話が来たわけ。これ以上の事は望めないよ。

ザ・ザの最新アルバム”MIND BOMB”ではほとんどの曲をマットが書いていますね。あなたはスミスではソングライター兼ギタリストであったわけですが、ザ・ザではギタリストに徹しようと思っているのですか?

このグループではギタリストをやる事が僕にぴったり合っているんだ。マットは自分ひとりでかれこれ10年やってきた。彼はブリリアントなミュージシャンで、ギター。キーボードなど何でも自分でプレイしてね。そんな彼がグループを結成しようと決めたんだから、これこそ究極のグループであるべきだ。僕にとってもこれは素晴らしい。僕は曲を作る心配をしなくていい。僕自身、ソングライターだが、このグループではギタリストで満足しているわけ。ギタリストとして僕はもっと新しい分野に入って行きたかった。スミスではその辺がちょっと不満だったんだ。雰囲気や効果音、メロディックなノイズなんかを研究したくてね。僕は何よりリッケンバッカーをかき鳴らす、ロジャー・マッギン(バーズのギタリスト)みたいなプレイヤーとして知られてきた。彼のことなんかほとんど知らないのに。だから、エフェクツやスペイシーなサウンド、ノイズで新しい分野を開発したい。その点でもこのグループは最適だ。アルバム作りに入って、マットが僕にギタリストとしてどういう方向に進みたいかを話したら、彼は心から励ましてくれた。彼がグループを組むなら、完璧なものにする以外になかった。だから、僕たちの好きなやり方で自己表現させてくれる。僕たちをそれとなくプロデュースし、彼の求めるものを知らせるんだ。僕たちはあくまでもグループだ。それはマットにとって思い切った事だった。だって彼はひとりでもちゃんとしたものを作れるんだから。このグループの土台になっているのは全員の趣味が同じだという事。だからこそうまくいくんだ。

”Gravitate To Me"だけあなたも作曲に参加していますね。あの曲はどのように作ったのですか?

あの曲のオリジナルのアイディアはすでにマットが持っていたもので、もとになるリフも出来ていた。それをもとに僕たちは2-3日作業し、そのうち僕のギター・パートが曲を少し変える事になった。曲に合わせて僕がプレイしていると、彼が振り向いて、”この曲は君が僕と一緒に作ったね”と言ったんだ。僕はただギターのコーラスを付け加えただけというつもりだったけど。お互いリフなんかを弾いてみせ、彼はもっとやってみるように僕を励まし、僕もまた彼を励ました。

あの曲はスミスの曲と違い、かなりファンキーですね。あなたはモータウンものなどのR&Bに強い影響を受けたそうですが、この手の曲は昔からやってみたいと思っていたのですか?

うん。曲の中により多く取り入れたいと思っていた影響は、ファットバック・バンドみたいな70年代中期から後期のディスコもの、あるいはファンクだった。当時ディスコものと言われていたオハイオ・プレイヤーズとかそれより少し前になるけどスライ・ストーンみたいな比較的大編成のバンドがグルーブをプレイするっていうのが好きだったな。スミスの曲はコード・チェンジ主体のところがあった。今でもこういうのはいいと思うが、それを7年やったら今度は新しいことに移って行きたいと思ってね。スミスの決まりのひとつは、3分間のポップ・ソングを作ることだった。僕とモリッシーが組んだ頃受けていた影響と言えば、マーヴェレッツ、シャングリラズ、ジャクソン・ファイブのシングルに、色んな女性グループ、60年代初期の音楽、リーバー&ストーラーにゴフィン&キングだった。この辺が僕が最初に受けた影響で、スミスに与えた影響でもあったから、スミスでは構成のしっかりした8ビートの曲が多かったんだ。ティアーズ・フォー・フィアーズやOMDなどのいかにもといったシンセ・バンドや僕たちは、人々をコード・チェンジ主体で良い詞のついた曲を書くことに再び目を向けさせたと考えていた。それは長いこと欠けていたものだったんだ。ロックン・ロール誕生以来の最高の作詞家のひとりがモリッシーだと僕は信じているよ。

”Beyond Love”にはあなたが先程言っていたギタリストとしての新しい分野を開拓した成果が特によく表れていますね。

あれはザ・ザとして初めて一緒にやった曲だった。僕はあの曲でディレイやオーバードライブを使い、4-5種類のサウンドを入れた。あれで満足していることのひとつはシンセを全く使わなかった事。ストリングスのようなギターは全部ギターだ。”MIND BOMB”の曲の多くでも、ストリングスのような音を出している。これももっと追求したいことのひとつだ。僕はボリューム・ペダルは使わずに常にボリューム・ポットを使ってプレイしている。ストラトのポットを古いテレキャスターのものに換え、サウンドをうねらせバイオリン風にしている。あと、より表現力を増し、実験的なサウンドを作る為にエフェクツにのめり込んでいる。スミスの時はローランド・ジャズ・コーラスやフェンダー・ツインにプラグ・インして弾くだけだったが、今ではとても複雑なセット・アップになっている6本の弦とアンプだけでも実に沢山の事が出来た。エフェクツを長年使わずに来て良かったよ。エフェクツ無しでプレイする事を先に覚えたからエフェクツに自分のプレイを支配されることなく使いこなせるようになった。僕は多少時代遅れだったお陰で、アコースティック・ギターをバンドの中でプレイするのが土台になっているから有利だ。

ニュー・オーダーのバーナード・サムナーと”エレクトロニック”というプロジェクトを組んで、シングルを出しましたね。

あれはシックのような、70年代風ディスコものさ。エレクトロニックはごくルーズに出来たもので、友達がふたり集まって楽しんだという感じだった。バーナードと僕でアルバムを作り、ツアーに出たり、それぞれのグループで宣伝する事も出来る。そうは言っても僕たちは何より友人であって、新しいスーパー・グループなんていうんじゃないんだ。あれはふたりでクラブに行き、楽しく過ごして、帰りに僕の家にあるスタジオでダンスものをやってみた。それを2週間後に出しただけ。プロモーションをしようとか、成功するかどうかとか、まったく心配はしなかった。

あれにはペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントも参加していますね。

ニールとバーナードは長いこと何かを一緒にやりたがっていた。僕らが一緒にやっている事を聞いて、ニールが連絡してきたんだ。彼とも一緒にやれて良かったよ。このプロジェクトは皆が僕について描いているイメージを変えるいい機会になった。モダンな新しいギタリストとして、僕は知られているらしいから。そういう伝説的なイメージを出来る限りなくしたかった。ロック・ギタリストにまつわる伝説的なイメージって本当に古いだろう。例えば、西洋一の速弾きギター・ヒーローなんて安っぽいし、遅れてるし、僕ぐらい若い世代の人間が求めているものではないんだ。僕は優れたプレイヤーのことはうんと尊敬しているよ。ジェフ・ベックは白人では史上最高のギタリストだし、ヘンドリックスも凄い。だけど、この世にジェフ・ベックはひとりいればいいんであって、しかも僕は90年代に生きる若い人間だ。自分で66年とか72年とか、昔を生きる人間のフリはしたくない。ギター・ヒーローという考え方はもうすっかり古くなっているんだ。ずっと昔に消えているべきものだった。僕はプレイが好きだし、うまくプレイしたいが、自分をギター・ヒーローになぞらえる気は毛頭ない。ゾッとするよ、そんなの。現代のギターの魔術師と言われる人の多くが、聴いてみると音楽とは無関係のように思える。メロディックな要素が殆どなく、ダイナミックスや表現力に欠け、エゴだけがワイルドに拡大されているみたい。常にソロをとっていなきゃいけないという考え方と共に育ったギタリストもいるし。

あのシングルではアコースティック・ギターで素晴らしいソロを弾いていますね。

ニールがどうしてもやれと言ったんだ。あれはバーナードがヴァースを書き、僕がコーラス・パート全体とベース、キーボード、ストリングス・パートを書いた。僕は、これでよし、と思っていたら、ニールが、ギターはどこだ?と言って来た。これにはギターはいらないよ、と僕は言ったが、彼がどうしてもやれと言うんで、クラシックかアコースティックのちょっとしたソロを入れたらいいだろうと考えた。これが実にうまくいったので、彼が言い出してくれて良かったと思ってるよ。

アルバムは作らないのですか?

作るつもりだよ。アルバム1枚分の曲はもう書けているから。あとはちゃんと完成させていかなきゃ。問題はふたりのスケジュールなんだ。

ソロ・アルバムは?

いつかは絶対作るけど、今はとにかく忙しくて。関心を持ってくれる人がいるかどうかは定かではないが、やるよ。次のザ・ザのアルバムの後にやるかも。

あなたはギターの他にピアノもプレイしますが、それがギター・プレイに与える影響はありますか?

ピアノ・プレイの良いところは自分のやっていることがよくわからない事だ。ギターだと自分のやり方がわかってしまう。ギタリストがピアノを弾くと、テクニックや理論を知らない分、心でプレイすることになるから素晴らしい。僕の好きなタイプのピアノを弾くのは皆ギタリストなんだ。ニール・ヤングとか、キース・リチャーズ、ニルス・ロフグレン。皆、本当のメロディックな感覚を身につけている。だから、そんなロジックをギターに当てはめて、耳だけを頼りにチューニングして自分が何をやっているのかわからなくしたりするのに凝っているんだ。こういうやり方だと、他のやり方では出来なかった事とか、シンプル過ぎると言って出来なかった事も出来る。それをチューニングに当てはめると、自分がプレイしたもの何だかわからず、”これこそ今までで最高のプレイ”、”失われたコードだ!”と思うんだ、それからレギュラー・チューニングに戻してやってみると、ただのFやCだったりしてね。だから、この手の事をしてみると実にインスパイアされるんだ。

それでスミスではオープン・チューニングを多用していたわけですね。

スミスではトラディショナルなチューニング、例えばオープンGやオープンA、オープンEなんかのレギュラー・スライド・ブルース・チューニングを多く使ってきた。トーキング・ヘッズの”NAKED”と、”MIND BOMB”の中に1-2箇所では自分でも知らなかったチューニングを耳だけでやってみた。こうするとずっと面白いメロディが出来るんだ。もうひとつ、僕がここのところとても気に入っていて他のギタリストがあまり使わないのがカポだ。スミスのギグではギターをたくさん取り替えたものさ。サウンドや雰囲気を変えるためじゃなく、いろいろ異なるチューニングで曲を書いていたので、チューニングもカポの位置もそれぞれ違ったからなんだ。

そもそもオープン・チューニングを使うようになったのはいつ頃ですか?

14歳くらいだったかな。当時はバート・ヤンシュあたりの人から影響を受けていた。僕はオープン。チューニングを作曲の道具として使っていたんだ。幸運な偶然でいい曲が出来る。それが僕のアプローチだ。

最初に試したチューニングを覚えていますか?

オープンD。ジョン・マーティンのチューニングだったから。でも、オープンAの方が好きだな。オープンAは最高だと思う。スミスでは例えば、”セメトリー・ゲイツ”(ザ・クイーン・イズ・デッド)はオープンG、”ヘッドマスター・リチュアル”(ミート・イズ・マーダー)はオープンDでプレイしている。トーキング・ヘッズの”クール・ウォーター”では僕が曲を聴いていたら、デヴィッド(・バーン)が、何となくアラビア風のドローン・サウンドをやってくれ、と言った。そこで、12弦セミ・アコースティック・ギターを耳を頼りにドローンらしくチューニングして、どんなコードかわからないがそれでスライドを弾いた。自分が何をやっているかわからないのに、たまたま新しいコード・シェイプとメロディが出来てとても面白いものになった。従来のチューニングからは生まれないようなものがね。偶然性の高いオーバー・タブなんかだとこれはとてもいい。

あなたがセッションしたブライアン・フェリー、デヴィッド・バーン、カースティ・マッコールなどにしても、モリッシーにしてもある種の共通の魅力があるように思えますが、あなたはどう思いますか?

うん。皆自分のやっていることに一生懸命なんだ。カースティ・マッコールのアルバムで3曲作曲し、9曲プレイした事を僕はとても誇りにしている。僕は作詞家ではないが、そうなりたがらなかった理由のひとつは、ギターをプレイする事に熱心ですっかりそれにとりつかれていた事だった。一方、彼らは作詞と歌うことに執心していた。僕が自分のやっている事に熱心であるのと同じくらいそれぞれのやっている事に熱心な人でなければ一緒にやっていけない。

カースティ・マッコールのアルバム”カイト”にはロビー・マッキントッシュも参加していましたね。

彼はファンタスティックなプレイヤーだよ。ギター・ミュージックの伝統により良く根ざしている。僕より年上だから、それだけのことだけど。彼が実際にビートルズやヘンドリックスを観たのかどうかは知らないけど、少なくともその機会はあったはずだ。一方、僕が13歳の時、パンクが台頭してきた。だから僕は彼とは違う分野から出てきた。でも、当時何が起きていたか、パンクが僕にとって何であるか、体験するには若すぎた。クラブに入ることも出来なかったから。TVのトップ・オブ・ザ・ポップスにはひどいグループが出ていたし、当時学校でパンク・バンドをやっていた連中を僕は悪趣味だと思っていた。で、時代に遅れちゃったんだな。僕は僕の年齢としてはひどくオールド・ファッションな影響を受けた。モータウンとかね。でも、これがとても良かった。プレイを始めた頃、僕はソロイストにはなりたくなかった。派手にやるリード・ギタリストにはなりたいとは思わなかったんだ。最初はテンプテーションズのレコードを聴いて、全てのパートをどれも一度にアコースティック・ギターで弾けるようになろうとした。だから今僕はこんな風にプレイしているんだ。メロディやら何やらいっぱい忙しくプレイするだろう。僕はピアノ・パートもベース・パートもボーカルも何もかも全て同時にプレイしたいと考えたんだ。パートを選んでプレイするんじゃなく、全部プレイしたかった。今でも僕はギター1本のテンプテーションズなんだと思っているよ。

あなたはビートルズの影響はあまりないんですか?

63年以降に生まれたイギリス人だったら、ビートルズから影響を受けないなんてことは有り得ないよ。困ったことのひとつは、音楽業界、音楽プレスが今も新しいビートルズを追い求めている事だ。”現代最高のグループ”ってやつが常に存在してなきゃならないのさ。そのひとつのグループが全てであって、その為にそれ以外はひどいってことにされてしまう。僕の見方ではトップ100には100組の優れたグループと100曲の優れた楽曲が存在する余地があるって事なんだ。もうビートルズの影を追うのはやめる時が来てると思う。”木のてっぺんには最高のグループがひとついるべきだ”という考え方はもうなくならなくちゃ。

ポリグラム・レコードの人間が”誰もが待ち望み続けているにも関わらず、ビートルズほど社会的なインパクトを与えられる人たちはもう決して登場することはない”という発言をしたそうですね。

歴史的に見れば、ロックン・ロールはさらに意味を持たないものになって行くだろうし、ロックン・ロールとはビートルズとストーンズを意味する事になるだろう。ロックン・ロールは社会的に意義のあるものとされてきたが、その意義はどんどん薄くなってきていると思う。今は、もう90年だぜ。エレキ・ギターを持っていたり、バンドで歌っているなんて大した事じゃないんだと誰もが知っている。今、14,5歳の子供だったら寝室にあるコンピュータでレコードを丸ごと作れてしまう時代に育っているんだ。僕は個人的にギターを弾くのが好きだけど、もし今の子供と同じ状況に置かれれば、コンピュータでもいじっているに違いない。運送用バンの後ろに乗って高速道路をガタゴトと進むのもある種ロマンティックに思えるが、そう思うのは僕の世代が最後だろうね。そりゃ僕だって音楽を愛している。だが、音楽業界は時代につれて変化するという事がない。かつては業界が時代を支配していたが、今はそんなことはない。レコードを買う一般大衆は、ブランデーをガブ飲みし”さあ、セッションをやろうぜ”なんて言うミュージシャンの事なんか気にも留めないんだ。こういう事について連中は知りたくもないって事。ドラッグやなんかで自分を死に追いやり、ロックン・ロールの歴史の本の中にパラグラフのひとつとして残る人たちの事なんか過ぎ去ったことってわけさ。僕だってこんなのは嫌さ。ジム・モリソンの生き方なんかを認める気はない。あの人は結局、最後に死んで注目されたんだ。彼は詩人のようにふるまい、シンガーのようにふるまったんだが、結局どちらにもなれなかった。彼は酔っ払った模倣者に過ぎなかったんだ。彼を例として挙げるのは、とっくの昔に死に絶えているべきロックン・ロールの伝統的要素を復活させようとする現代のグループがたくさんいるからだレザー・パンツ、男性至上主義、ビデオに出てくる女の子の群れ。こういう伝統的なロックン・ロールのお決まりごとが僕は大嫌いだ。僕もこういうものから確かに影響を受けたが、もう卒業したし、まわりを見れば、今は72年じゃなく90年だと気付くだろう。レッド・ツェッペリンは彼らの時代には優れていた。でも、待ってくれよ。今は90年だぜ。だから僕はペット・ショップ・ボーイズが実に素晴らしいと思うんだ。ギター・ファンやスミス・ファンの間で、僕がディスコ・グループでプレイ出来ることに恐怖を感じている人もいる。”驚いたな、ペット・ショップ・ボーイズだなんて”って言ってね。音楽的なスノッブの伝統というものが確かにあり、これは人々の無知を示すものだと思うんだ。僕は優れたギタリストの長いリストに載りたくないんだってことを説明する為には何でもする。そういう立場にいられるだけでも感謝すべきだと人々は考えているから、そんなのはバチ当たりだと言われるかも知れない。だが、僕はそんなものはいらない。時代錯誤なやつにはなりたくないね。

自分をどんなミュージシャンだと思います?ギタリスト?ソングライター?

真剣にプレイし出してからずっと、僕は自分の事を伴奏者だと考えてきた。ここが多くのギタリストが間違えるところだと思うが、僕に言わせればシンガー以外のミュージシャンは皆伴奏者なんだ。グループの中のミュージシャンがすべきことは曲の伴奏をすること。それも詞がちゃんと聴こえるよう、詞の邪魔をせずリード・シンガーの歌を素晴らしいものにし、曲の全体像を優れたものにすることだと考えている。”あいつは速い!”と言われるためだけに自分を規定してしまうことじゃない。そんなのナンセンスだから、僕は多くのギター文化に反対なんだ。こんな事を言うと変に聴こえるし、読者全員を敵に回しかねないのはわかってるけど、”目を覚ませ!”ってこと。

モリッシーとの共作では、あなたが曲を作り、その後彼が詞をつけていたのですか?

うん。コードとメロディのかけらが入ったデモ・テープを彼に渡していた。レコードみたいに、ドラムやベース、ストリングスが入った殆ど完成品のデモもあった。自宅にスタジオを作ってからはこういうものも出来るようになったんだ。

モリッシーは非常に特徴的な歌い方をしますね。それに合わせたメロディを書くのは難しかったのでは?

いや。それに実はボーカル・メロディは殆ど彼が書いていたし。以前は曲に対して僕がたくさんメロディを作って彼に渡していた。その中から彼が使えそうなものを見つけたり、インスパイアされるようなものを見つけたりして、それを自分のものにしていたんだ。彼は非常にユニークなメロディのアプローチをとっていたね、大抵は。彼はオリジナルでありたがり、実際彼はオリジナルだと僕は思う。これは凄く難しいことだよ。それに彼が他のシンガーと違うところは、リード・ボーカリストがポップ・レコードですべきことを生まれつき知っていることだ。モリッシーは面白いメロディを作る才能を生まれつき与えられている。だから、モリッシーがやったメロディに関することの全ては、僕が少しでも関わっているなんて言えないんだ。

あなたが書き上げた曲のどこかを変えてくれと、彼が言う事はありましたか?

いや。彼は僕に何も変えろとは言わなかったし、僕も彼にそうは言わなかった。長いことお互いに満足していた。

あなたの曲作りはどのようなやり方ですか?

僕の場合、曲のベーシックな流れをまず作り、その上にかぶせてリフをプレイするんだ。まずは凄いリフを作りたいというのも作曲する理由のひとつだが、それは必ずメロディックなコード・チェンジのもとでなくてはならない。その次が普通、イントロのベースとコードの土台を外すこと。これでリフだけが残る。それでとてもメロディックなリフに聴こえるようになるんだが、実はコードが先にあるわけ。メロディはベーシックなコード・チェンジの流れがしっかりしていないとうまくつかない。ボトムにベース・ノートの動きが必要だ。だから、僕はモダン・ファンクが好きになれないんだ。メロディックな視野が殆どないから。スミスの曲はコード進行もしっかりした3分半の完全に良質なポップ・ソングなんだ。

今でも、リッケンバッカーをずっと使っていますね。特に気に入っているのですか?

リッケンバッカーは殆どライブで使っているんだ。レコードの色々な異なるギター・サウンドをひとりで再現しなきゃならないんでね。だから、ビッグでメロディック、多様なサウンドで多くのスペースを埋められるギターが必要だ。リッケンを使うのはその為だよ。それに見かけも恰好良いし、子供のときに好きになった。でも、レコードでは54年のテレキャスターほどはリッケンは使わなかった。例えば”ディス・チャーミング・マン”(ハットフル・オブ・ホロウ)はあの古いリッケンバッカーでリフを弾いたと皆思っているが、あれはそのテレキャスターをダイナコンプを通して弾いたんだ。それに54年のレス・ポール・ゴールド・トップをよく使った。59年のレス・ポール・サンバーストは今でもよく使っている。そんなわけで、決してリッケンバッカーばかり使っているわけじゃないんだよ。スミスの2ndアルバムから”クイーン・イズ・デッド”までの間は、殆ど全てのギグで、ES-355、59年の335をメインに使ってきた。今、ライブではストラトを使っている。それから、レス・ポールをプレイする時はストラトや、335、リッケンとはかなりスタイルが違ってくる。弦と弦との間が狭く、ショート・スケールのネックだから、どちらかと言うと全部の弦をジャーンとかき鳴らしたくなる。レス・ポールだとリフ主体、低音のプレイになりがちだ。ストラトだとミドルの音でコード中心のプレイになる。ソロにも向いている。ストラトだと控えめなプレイになるかも知れない。少し鋭く、きれいな感じに。

ソングライターとしての自分をどう思いますか?

まあ、ナチュラルだね。いい曲を作ることというトラディショナルな意味において、僕はひとつのしっかりした基本を持っている。僕は無駄なジャムは好きじゃない。構成のしっかりした曲こそがより強力に思えるんだ。なぜなら、たとえ短時間であっても、それらにはうんと労力が費やされ、心が込められ、密度の高いものが出来上がっていると思えるからだ。昔の作曲家はブースにこもって短時間で作曲していたという神話があるにせよ、そうして出来た曲には必ずドラマティックな要素があった。ロネッツの”ビー・マイ・ベイビー”なんか古典的傑作だ。フィル・スペクターの一連の傑作、初期のドリフターズの”I Count The Tears”、ベン・E・キングの”Young Boy Blues”、それにモータウンものの”Bernadette And The Seven Rooms Of Gloom”、テンプテーションズにアイズレー・ブラザーズなんかもそうだ。それらは60年頃に出てきて、6-7年後のホランド=ドジャー=ホランドへと変化していったが、すべて実にメロディックで、どれもコマーシャル・ポップの規則に則って作られていた。その中には厳しさ、暗さを秘めたいろいろな曲もあった。僕が気に入っているのはそこだ。ありふれたただ小奇麗なのは好きじゃない。奇妙で、主にマイナー・コードとブルー・ノートなど、対立するものを並べるようなものが好きなんだ。

ギタリストとしてはどう自分を説明しますか?

忙しい(笑)。いろんな意味でね。僕は1音たりとも無駄に弾かない。少なくともそう心がけている。自己満足型のギタリストが音数が多いのは適切な音を見つけられないからだと思うんだ。僕はふたつで済むところは3つ音を弾くことはない。ひとつで済めば、ひとつで済ませるよ。まだ、そんなのは見つけていないけど。

ミュージシャンとして、あなたが目標にしている人はいますか?

フィル・スペクター。彼のヴィジョン、献身、異常なまでの熱心さ。あれを僕のプレイや作曲のセンスに取り入れたいよ。ジミ・ヘンドリックスのハートとソウルも欲しい。最終的には何も考えずに作曲やプレイが出来るくらい自分を開発したい。口笛を吹くようにギターが弾けるようになるとか。それですべてが非常にナチュラルになればいい。ナーヴァスなエネルギーをすっかり心から追い払い、プレイに完全に集中出来るように、究極的に表現出来るようになりたい。何もかもがパッケージされ、”ブランドもののファンク”、”R&B”などとレッテルを貼られないと皆わからないという時代だからね。理想的なことを言うとあいつはバカ正直だと言われることが、社会や音楽が洗練されるのを妨げているんだ。それは間違っているよ。こういうくだらない問題がまわりにあると、皆がどういう判断を下すかを気にせずに作曲することが誰にとっても難しくなる。そんなことは気にする必要もないんじゃないかな。だから、僕の出すサウンドを聴いて欲しいんだ。

*1)ショーン・ライダー
*2)ジェイムズ・エラー

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