† バート・ヤンシュとバーナード・バトラーをグラスゴーへ観に行く旅 †

出発 (Jan.22/2004)

朝5時に起きて空港へ。私は1998年以来パスポートを使用していなかった。成田北ウィング1Fのコンビニで偶然ミユキさんに会えた。キャリアは勿論激安のVS。今回の旅の目的はただひとつ、バート・ヤンシュとバーナード・バトラーの二人ライブを観る事だけだ。マー仲間でもあるふむ嬢は関空からKLMのアムス経由で現地入りする。無事に会えると良いのだが。

約11時間のフライトの後、LHRに到着。乗り物が異常に好きな私はもっと乗っていてもいいくらいだった。飛行中は映画も観ず音楽も聴かず、専らF1ライブ・タイミングを追うが如くフライト・データを眺めていた。約1時間で500マイルを飛行する。最高37000フィートまで上昇した。ロシア上空では”ここで堕ちたら凍るわな”と意味不明な恐怖に胸が躍った(マジレスすると、どこで堕ちても凍るわけだが)。機内食も全て完食。何故かVSの男子乗務員全員、ちょっと前のベツカム風ヘヤだった。”スパニッシュ・ティー”と騙されて飲んだお茶はただの紅茶であったが。

到着

パッケージツアーのいい所は、空港からホテルまでバスで送り届けてくれるという事に尽きる。ちょっとしたハプニングがあったものの、無事にホテルに到着。地下鉄のQueensway駅に徒歩1分、ヒースロー・エクスプレスの発着するPaddington駅へひとつの、Bayswater駅まで徒歩2分という至便さだった。これはグラスゴーへ行くのに非常にラッキーだった。夜は換金をする為Oxford CircusのMarks&Spencerへ行った。ほぼ英国住民、ご自身曰く永遠のボヘミアンであるミユキさんが、”ここが一番レートがいいのよ〜”と教えてくれた。ツーリストの皆さん、是非参考になさって下さい。40,000円ほど換金し、地下でご飯を買って帰った。どこかへ繰り出す元気など微塵もなく疲れきっていた。ホテルへ戻ってくつろいでいると、突然部屋中の電気が消えた。

暗闇との闘い

その後、部屋の電気はホテルを後にするまで消えたり着いたりしていた。というか、ほぼ消えていた。ミユキさんは500万回ほども苦情を云った。”Lights Gone, Again!”。私はその度に横で爆笑していた。明かりの着いているうちにシャワーを浴びたりトイレに入らねばならなかったが、ある時などはどうしようもなく、ドアを開けっ放しで用を足した。私とミユキさんは一気に臭い仲になった。 ・・・まあそんな事はどうでもいい。時間が無い、はよ寝ましょうとばかりにベッドに入った。この時、ミユキさんが眠れずに悶々とした夜を過ごしていた事に私はまるきり気がつかなかった。

ゴー、グラスゴー、ゴー (Jan.23)

翌朝、Paddington駅からヒースロー空港へ向かい、BMで一路グラスゴーへ。云ってみればローカル線なわけだが、このBMがアグレッシブな飛行を見せた。おおよそ60分弱のフライトだが、30分地面を這いずり回った後に一気に加速、一気に上昇し、かなり気持ちの良いGが体にかかった。ウヒョーーッ!奇声をあげる珍日本人旅行者マキヲ。いやが上にも気分は盛り上がる。昼12:30くらいに、山々に囲まれたグラスゴー空港に到着。空は曇天、いい天気だ。前夜、一睡も出来なかったという気の毒なミユキさん(私は熟睡)とタクシーでふむ嬢との待ち合わせ(?)場所であるホリディ・インに向かう。タクシーの運ちゃんはスコットランド訛りで私にはろくすっぽ何を云っているのか解らなかったが、どうやら街の説明をしていれたようだった。グラスゴーは古さと新しさの混在した街であるという事、川向こうには行かない方が良いという事、ヤンシュのショウを観に日本から来たことを告げたら会場への行き方などを教えてくれた。(グラスゴーの人々は特筆すべき親切さだ!)

ふむ嬢は海外用携帯電話を所持していたが、私が公衆電話から何度かけても繋がらなかったので、これは大丈夫かいな、と少し心配にもなったが、私たちに遅れること30分ほどでふむ嬢はホテルに現れた。彼女は相変わらず飄々として居、白いファー付きダウンコートでにっこり微笑んだ。異国での再会の感動もそこそこに、奇しくもマー仲間三人が集った所で張り切って会場の下見に出掛けた。すると突然嵐がやってきた。

バロウランズ

”もしかして、あれちゃうかなあ”とふむ嬢が云うや、街のどん詰まりにドーーンとそびえるバロウランズが見えてきた。愛らしい星型の電飾を散りばめた概観。確かに大きな会場であったが、何とも歴史を感じさせる古めかしさと廃れ具合があり、三人は一様に度肝を抜かれた。ネットでチケットを予約していたミユキさんは、それを換える為に会場周りを嵐の中駆け回った。その間、私とふむ嬢は濡れ鼠で記念写真を撮りまくった。既に異常なテンションである。暫くするとミユキさんが興奮して戻ってきた。”いやぁ〜、凄いとこだわ、ここは!会場の裏は青物市場だよ!”。電飾だらけの廃れた概観に青物市場・・・高まる不安・・・ヤンシュ&バトラーは果たして本当に現れるのか?!

バロウランド概観

ひとまずホテルに戻って体制を建て直し、中央駅の方まで出て夕食を摂る事にした。地下のイカした若者向けのパブだったが、食事が出てくるのがアホのように遅かったので(私はキレかけました)、味わう暇も無いまま大急ぎで口に放り込む。私はベーコンとねぎとアスパラのリゾットだったが、多分、いやきっと美味かった。本当はハギスが食べたかったのに。大わらわでバロウランズにとって返すと、時刻は19:30(開演は20:30)、会場前は既に列が出来ていた。最後尾に着くと、いかにもご近所さんが誘い合わせて来ちゃいました、のような会話が聞こえてきた。皆が知り合いのようである。既にバッチリな雰囲気である。昼間点灯していなかった電飾がピカピカと光り、チープだが暖かい空気感を醸していた。いつの間にか、嵐も去ってしまっていた。

チケット

中に入るとだだっ広いダンスホールを思わせられる木の床で、イスと丸いテーブルが無造作に並べてあった。ダッシュで席を取るような者は皆無であり、やすやすとセンター最前列に座る事が出来た。ステージは少々高さがあるものの、この位置ならば細かい所作も全てを観る事が出来そうだ。地元の人たちはビールをおのおの用意して準備OK。私の緊張もボルテージマックスだ。サポートバンドは、ミラクルワーカーズというケルト伝統音楽を継承したような意気揚々としたサウンドだ。恰幅の良いお姉さんが美声を聴かせる。時に眠りに誘われるような心地よい響きである。約1時間ほどで彼らの演奏は終わった。

メインイベント、BJ&BBライブ

約20分のステージ変えがあり、まずバート・ヤンシュが姿を現した。夢か幻か。永い間ささやかに静かに、まさに彼の歌うトラッドのような佇まいで私の心の奥底に在ったもの。ZEPファンでもある私にはペイジとツインで存在する永遠のカリズマだ。ジョニー(・マー)がカバーをトリビュートに発表したり、ヤンシュのアルバムで共演した楽曲を聴いた時は、またひとつ強固な楔が私の中に打ち込まれた気がした。世にも美しい連鎖と磁力。これもまた運命か。意識が飛びそうになるのを堪え必死で正気を保つ。隣でふむ嬢が”ヤンシュかっこいい”と呟いた。散々”年寄り過ぎる”とか”うちの父親の方が若い”とか”なに、あの巾着袋は”だのと(勿論愛を込めまくってだが)云って笑っていたのにこの発言である。いざ本物はどうやら、計らずもふむ嬢の乙女的ハートを刺激してしまったようだ。確かにヤンシュはクールで、若い頃同様に男気に溢れた風貌、そして必要以上に老けてもいなかった。”カレー食べてる途中だったんだ”が初MCだったようだが、一貫してライブはこのような自然体で行われる事になる。私は、この奇跡がずっと出来るだけ長く続きますように、と祈っていた。

セットリスト

Bert3SongsとBB3Songsという記述だが、あらかじめ決められていなかったのだろうか、と思わせられる。
ヤンシュは突然演奏を始め、歌い出した。会場に緊張感は微塵もなく、相変わらずビールを両手に持ったおやじたちがステージ前を行き来していた。”ミラクルワーカーズの時ならまだしも”と、最初はイラッとしたものだったが、次第に全く気にならなくなった。二曲目にプレイしたであろうと思われる”Blackwaterside”はヤンシュのソロ。レコードも素晴らしいが、生は本当に、信じられない程に感動的である。あの音は、一生忘れられない類のものだ。頭から決して去ってくれない音だ。この生音を全身で記憶するのだ。ファーストソロに収録されている四曲目”Courting Blues”あたりからヤンシュはBBを呼んだ。”友だちの、バーナード・バトラー”と紹介されてBBがスタスタと姿を現すと、割れんばかりの拍手喝采が起こった。BBは近年、ヤンシュとともに演奏する事が多かったので、既に彼のファンにも広く知られた存在なのだろう。もしやドラムスくらい居るのでは?と、私とふむ嬢はマコさんかオコーサクが出てくるかも知れない、と思ったが正真正銘フタリポッチライブだった。

ヤンシュとBBは実にナチュラリーに息が合っていて、これほど親密なコンビネーションプレイを見せるとは思いもよらなかった。孫並に年の離れたコンビだが、この様子はそういったファミリー的なものではなく、ヤンシュBBを紹介した時のように、本当に”ともだち”のような気の置けない感じがあった。服も二人でお揃いの、仕立てのよさそうな黒シャツだった。

BJ&BB1

二人が並んで時折見つめあいながら演奏する様に、観ているこちらも頬がゆるみ、微笑まずにいられなくなる。素晴らしいショウになるであろうと確信した。しかし、”Fresh As A Sweet Sunday Morning”で突然、私の両目から生暖かい温水が流れ始めた。静かに、音もなく、感動の嵐が胸にこみあげ、それは止めようとしても止まるものではない。流れっぱなしの、細く直線状のものはどうやら両隣のミユキさんとふむ嬢の頬にも同様に伝ってしまったようで、”涙がでるなあ””うん”という短い会話しか交わせなかった。同じものを観、同じ感動をシェア出来る友が隣に居るという事にも感謝せねばなるまい。
続く”Blues Run The Game”は明るく颯爽とした曲であるのに、説明不可能な切なさが心を占領してしまい、やはり涙がだだ漏れだったように記憶している。(結局第二部になるまでやばかった)

美しいトラッド・アレンジもヤンシュの持ち味だ。”Omie Wise”ではBBがE-bowで幻想的な音を奏で、ヤンシュはジャン・ルイスに問いかける。物語に引き込まれる。他、彼らは”I Cannot Keep From Crying”などのトラッドを演奏した。胸に染みるブルーズ曲で、BBのギターが絶妙の滑らかさでスライドする。
今回のショウで驚きだったのは、BBソロ曲をヤンシュも一緒に演奏してコーラスも歌う、という趣向だった。どちらかと云えば、私の認識ではBBは飽くまでもヤンシュのサポート的位置づけであり、BB自身の曲などは演奏しないものだと思い込んでいたのだ。考えてみれば失礼な話かも知れないが、しかし、”You Light The Fire”
などは完全にハマッており、”My Domain”でのヤンシュのぎこち無さとコーラスの曖昧さは、また彼の魅力を加味するものでしか無いほどに愛らしく、そしてそれは相当に”ブルーズ”であったのだ。(ブルーズとはそういうもんさ)

ヤンシュソロ

BBソロの、意外なまでのマッチングに驚いたのもつかの間、”Edge Of A Dream”では年の差ソウルメイトの息もピッタリなコンビプレイをきっちりと魅せてくれる。アルバム”Edge〜”はヤンシュ最新作であり、BBも殆どの楽曲に手を貸している。(余談だが、”Guitarist誌”のインタでBBは、お薦めヤンシュレコードにこれを挙げており、”別に俺が参加してるからじゃないぜ”みたいな云い訳をしていた。彼は近年のヤンシュ・レコードも大好きらしい)この曲を一旦最後に、二人は席を立つ。”カレーの食べ残しがあるから”といった言葉を残して。

ごく短いインターバルを挟んで、第二部はまずBBひとりで現れた。”いや〜、バートのトイレが長くて・・・”と云っていた。ここで三曲ほどBBソロの独壇場となるのだが、どうも彼はいつになく緊張しているように見えた。通して良い子という感じだったし、全てにポライトリーな行動が私のBBイメージを改めさせた(まあ、ヤンシュと一緒の時だけかも知らんが)。”Woman I Know”、”People Move On”、”A Change Of Heart”などを立て続けに演奏。ギターはギブソンのアコギ、そしてマーティンのD12あたりだったと思う。愛器のギブソンエレアコES-355も大活躍だ。スライド・プレイではハワイアンなラップ・スティールのギターを使っていた。彼の声も、いつもは粘着質な歌唱法が笑えるのだが、今回はサッパリ風味だった。(のちに、ふむ嬢と”今日は粘着度が低かったなあ””ねっとりしてなかったね”などと云い合った)

BJ&BB2

続く”When I Get Home”はヤンシュ・トリビュート”People On The Highway”でBBがカバーした曲である。アレンジはBB仕様だった気もするが、BBはかなり原曲に忠実なアレンジだった。二人で合わせて歌うこの曲はまた格別なものがある。”Toy Balloon”あたりからまた、しみじみ感動路線に戻ってゆき、特に私が殊更に愛する”Carnival”、そして”Poison”が来た時は、幸せ過ぎて昇天しそうだった。嬉しすぎは体に良くない、良くない・・・と思いつつ、この幸福をいついつまでも噛みしめていたいと願っていた。
ラストはLucinda Williamsのカバー、”I Just Wanted to See You So Bad”だ。彼らは仲良く後ろに下がり、ロックバンドがよくやるそれのように、二人手を取りあってお辞儀をした。去ってゆく二人の後姿に、真の”漢/ブルーズマン”を観た私であった。生涯忘れ得ぬ素晴らしい演奏を有難う。この暖かさと温もりの記憶が、私を今後もずっと生かす事だろう。

Liveレポート終わり。

旅日記に戻ります。
ライブが終わったあと、ミユキさんが隣に座っていたBBファンのご婦人と共にセット・リストを貰ってくれた。その女性は、スタッフに私たちがはるばる日本から来た事を伝えてくれたらしい。放心状態のままホテルに戻り(会場から歩いて10分ほど)、ライブの感想をポツリポツリを話し始めた。それぞれが”生涯ベスト”と云い切ってしまうような勢いがあった。ふむ嬢は朝6:00フライトで日本へ帰国する為、眠らずに空港へのタクシーを待つ事になった。私は精神が分裂気味で、コーヒーを思いっきり服やベッドにこぼしてしまい、それをミユキさんに拭かせてヘラヘラ笑っていた(ミユキさんごめんなさい)。あまつさえ、そのコーヒーベッドにミユキさんを寝せたのだ(重ね重ねごめんなさい)。ふむ嬢は風のように去って行った。

バック・トウ・ロンドン (Jan.24)

翌朝、私たちもロンドンに戻る為にタクシーを呼んでいた。が、すっかり寝坊してしまったようで、飛び起きたレセプションからの電話はタクシーの到着を知らせるものだった。服だけまとって車に飛び乗る。24日のグラスゴーは快晴だった。全てがキラキラと光って、私はまたタクシーの中で涙ぐんでしまった。本当にライブを観ることだけしか出来なかったが、このグラスゴーというスコットランド第二の都市は私にとっては感慨深い、特別な街になりそうだ。空港のスターバックスで飲んだカプチーノ、そしてパニーニのなんと美味しかったこと。相変わらずBMは飛ばしまくっていた。そうだ、BMのシートってRecaroなんですよ。ちょっとびっくり。下の写真は、BM機内サービスの”あられ”。nibbles(おつまみ)と書いてあります。ウォーカーズのオートミールクッキーはマジウマです。

あられ

ロンドンのホテルに帰りつくと、やはり電気が落ちていた。夜だけではなく、昼間も落ちっぱなしのようだ。暫く休んで、すぐに出かけた。私はロンドンに来たのは10年ぶりでカムデンに行った事がなかったので、この日は土曜だったこともあり”行ってみよう”という事になったのだ。行った事がある方はお解りだろうが、カムデン・ロックという所は何とも雑多でごちゃごちゃしていて、運河などがあり、そして若者だらけの街である。私向きではないな、と思った。何もかもが安っぽく見えた。もっと若者時分に来るべきであった。マーケットのどん詰まりで、ようやくチキン&チップスを食べた(私は魚が食えないのです)。これが全て二度揚げしてあり、完食などしてしまったら胸焼けでのたうちまわる事必至だったので、この芋大王のマキヲ様ともあろうものが、芋を残したのだ!前代未聞の珍事である!しかし、この旅を美しく終わる為にどうしても必要な処置だった。ミユキさんは豆のコロッケみたいのを食べていた。少しもらったが冷たくて不味かった。ベジタリアンは辛いなあ、と思った。

カムデンからまたオックスフォード・サーカスに戻った。ミユキさんは満身創痍でボロボロだった。彼女は年に数回里帰りの為にイギリスへ戻らなければならない身なのだが、最終日の今日は友だちに会う約束をしていたのだ。現地人同士の会話が聞けるチャンスなので、私もいそいそとくっついて行った。しかし、ミユキさんも私も疲労が著しいので”Border”という大きめの本屋の上にあるスターバックス(またか)でお茶くらいで済まそう、という事になった。

二人のミユキさんのお友だち(男性)がやってきた。この二人が爆笑人物(しかもめちゃくちゃ親切)だったのだが、なんとジョニー(・マー)をいじめまくっていた同級生と知り合いなのだ。私もミユキさんも小学校だろうと思っていたら、なんと10代だと云うので大笑いした。ジョニーをボコボコにしていた同級生はギャビンというらしい。真面目なやつだったらしいが、いつもウィンピー(腰抜け)でアーティファーティ(フラフラ)なジョニーが目障りで仕方なかったらしい。この話が真実か否かはさておき、面白い話である事に変わりは無い。実に楽しいひとときであった。疲れ果てて憔悴しきったミユキさん(私はそうでもなかった)を見かねて、二人のお友だちはホテルまで車で送ってくれた。

さあ、あとはもう寝るだけ。朝は空港までバスで送ってくれる。いや、ホテルはやっぱり電気が落ちてたけどね・・・。この夜、私はミユキさんを心から”ああ、この人は何て素敵な人なんだろう”と思う瞬間があったのだが、その話はまた今度。この旅を最高に楽しくしてくれたミユキさんに、感謝の気持ちを込めてこの旅日記を捧げます。(彼女のお陰で私はすっかりカプチーノ派になってしまったよ)翌朝空港でチェックインしていると、昨夜のミユキさんの友だちのひとりが見送りに来てくれた。なんて友だちがいのある漢なんだろう、と感動した。またジュースをご馳走になった。有難う、ミユキさんのお友だち。

帰りのフライトはあっという間だった気がする。ミユキさんのベジタリアン機内食は味気なさそうだった。私は急に具合が悪くなって、悪寒や風邪の症状が露わになってきた。最後の最後で・・・。この時も来た時と同じようにフライト・データを見つめ、毛布をかぶって震えていた。乗務員の目を盗み、シールドを上げて窓の外を見た。暗闇の中で星々が瞬いていた。シベリア上空でまたもロマンチックな妄想と熱に身悶えていた。さようならブリテン、また来る日もあるさ。成田着陸の直前で、私の目に最初に飛び込んできた日本、それは高くぞびえる富士山であった。富士山が”オカエリ”と云っておるような、何とも清清しい帰国時間26日昼13:00だった。

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Very Special Thanx (With Whole lotta Love) : Ms.Miyuki & Ms.Fumu